2014年1月29日水曜日

癒しの祈りをしました

こんばんは、エパタです。


伝道所カフェに行ってきました。オーナーさんとお話をして、彼女の腰と足の痛み、咳、消化器系の癒しのために祈りました。


それから、大家さんが家に夕食に呼んでくださり、その後、彼女の左足の痛みのためにお祈りしました。祈っている時に、左足が勝手に上に上がってきていたと話しておられました。主イエス様に栄光をお返しします! さらに完全なる癒しがなされますように!

2014年1月28日火曜日

国際ホロコーストリメンバランスデー

今日は、ユダヤ人への大量虐殺(ホロコースト)が二度と繰り返されることがないように祈る日です。ツィッターをお持ちの方は、#HMD2014 で拡散をよろしくお願いします!


ヘブライ語で書くと


יום השואה הבינלאומי


となります。

引っ越しします(動画つき)

こんにちは、エパタです。

この度、引っ越すことになりました。
と言っても、ブログではなく、家のことです。すぐ近くです。徒歩でゆっくり、道草ぬきで3分くらいの所です。

家賃は250レアル(10000円くらい)、保証人なし、敷金・礼金なしです。
ちょうど良い場所が見つかって、神様に感謝しています。

動画をiPhoneで撮って、Windows Live ムービーメーカーで編集しました。

2014年1月23日木曜日

福音を語れました!






こんばんは、エパタです。雲の間にある虹2月号ありがとうございました。伝道所カフェにお願いして来ました。

その後、家にお客さんが来てくださいました。大家さんのお友達です。ロサンゼルス教会のフェイス牧師にいただいたしおりの後ろにお名前を書いて、聖書の言葉を読んであげました。イエスさまを信じますか? と聞いたら、イエスさまも神さまも同じですよね? と返事があったので、父、子、聖霊なる神の説明をして、「イエスさまは私たちの罪の贖いのために十字架ついてくださいました。このことを信じますか?」と聞いたら、「信じます」と言われました。さらにFさんへの次の主の導きを祈っています。

2014年1月20日月曜日

増刷!

こんばんは、エパタです。


名前カードを全部配りつくしてしまったので、新しく20枚ほど作りました。


さっそくいつものスーパーで、カートを押していた店員さんに話しかけて、お渡ししました。ちょっと驚かせてしまいました.....。



2014年1月16日木曜日

虹が見えました

こんばんは、エパタです。


ショッピングセンターに行く途中、自転車に乗りながら、神様を賛美したり、聖書の言葉を用いてほめたたえます、喜びますとやったり、即興の歌を歌ったりしていたら、薄~くでしたが、虹が見えました。雨は降っていなかったのですが、黒い雲が遠くにあり、雲のある辺りは雨が降っているようでした。やはり賛美したり、喜んだりすることは神様の御心にかなっているのだなと感じました。ハレルヤ!

2014年1月14日火曜日

感謝の力~台風がそれた!

Quero compartilhar como o Senhor Jesus operou atraves de dar graças por todas as coisas. No dia 24 de Outubro de dois mil e dez recebi um e-mail da minha mãe. Ela disse, O seu pai está indo para Tohoku a partir de hoje, mas conforme a previsão do tempo, parece que vai ter um tufão. Eu não quero ir. Por favor ore para que ele desista de ir. Aí eu comecei a orar. Primeiramente como está escrito no Primeiro Tessalonissense 5:18, Em tudo, dai graças, porque esta é a vontade de Deus em Cristo Jesus. Comecei a agradecer que o meu pai está pensando em viajar no meio de um tufão. O meu pai está querendo ir e a minha mãe não. ...Aí agradeci em qualquer coisa que subia na minha mente. E então, de repente, veio uma visão assim. com o tempo bom, o meu pai e a minha mãe estão viajando e se divertindo tranquilamente. Eu escrevi para minha mãe...Mãe, pode ir tranquilamente. Eu acho que vai melhorar o tempo. Aí eles foram a Tohoku. O tufão estava aproximando a região de Tohoku, mas desviou e sumiu!! Glória ao Senhor Jesus! Eles voltaram em seguro. E a minha mãe escreveu. Eu estava com medo, mas agora estou agradecida. Aleluia!!


感謝を通して神様が働かれたことを書きたいと思います。2010年10月24日、母からメールをもらいました。「今日からお父さんが東北へ行くと言っているんだけど、天気予報を見ると台風が来るらしい。私は行きたくないから、お父さんが行くのをやめるようにお祈りしてほしい」そこで、私は祈り始めました。お父さんが行くのをあきらめますようにと祈り始めたのですが、まず第一テサロニケ5:18(聖書)に書いてあるように感謝することにしました。「台風が来るのにお父さんは行きたくて、お母さんは行きたくないという状況を感謝します」その時、ある幻が浮かびました。父と母がうららかな天気の中、楽しく旅行している様子でした。そこで私は母にメールを書きました。「お母さん、大丈夫だよ。天気が良くなると思う」それから父は考えを変えず、二人は台風の中を旅立っていきました。私はインターネットの天気予報で東北の台風の様子を見ていましたが、接近していた台風がそれて、消えていったのでした。彼らは無事に帰ってきました。母はあとでメールをくれました。「最初は雨風が車に吹き付けるし、ラジオの情報しかないし、不安だったよ。でもお祈りありがとう。無事に帰ってこれて感謝しています」その後スカイプで音声で話をした時に、どうやって感謝の祈りをしたか、台風はそれるから大丈夫と神様が幻を通して語ってくださったか、詳しく母に説明することができました。母はそんなこともあるんだねぇと言っていました。それ以来、微妙な神様についての話を母にすることができるようになってきました。主をほめたたえます。すべての栄光を主にお返しします。



2014年1月1日水曜日

メシアニックジューの方に電話しました

こんばんは、エパタです。

メシアニックジューのイェフダさんに電話しました。

ブラジルのメシアニックジューの全国規模の集会に参加されたそうです。以前インタビューを掲載させていただいた「雲の間にある虹」をトップの見せて、またエルサレムの平和のために祈る集会に参加したことを伝えたところ、非常に喜んでくださったそうです。

ハレルヤ! 主にご栄光をお返しします!

2013年12月31日火曜日

アンドレからの電話

こんばんは、エパタです。

グァララペス在住のアンドレがクリスマスと新年のご挨拶の電話をくれました。覚えていてくださって有難いです。彼と彼の家族に主の祝福がありますように....。

2013年12月27日金曜日

「レ・ミゼラブル」を観ました

こんばんは、エパタです。

先日近所にレンタル・ビデオ屋さんを見つけ、「レ・ミゼラブル」がDVDで出ていたのを見つけ、観たいなと思っていたのですが、やっと観ました。

そのレンタル料、なんと一本一日滞在8レアル!!(400円くらい)

最初は日本語字幕でぼーっと観ました感想をつらつら書きたいと思います。

全体的な感想は、ミュージカルと聞いて敬遠していたのですが、それが映画初心者にとっては、セリフを追いかける速さがややゆっくりでよくて、助かりました。途中間延びして、イライラしてき、早く先に進め~と思ってしまった場面がありましたが。

ストーリー展開も、古典の大御所をそのまま使っているということで、初心者でも付いていける展開で、まずは内容が理解できた~と、素直に喜びました。

疑問? だったところは、みな短命すぎる。コゼットのママも主人公も、アレ? なんで死んだのかな? という感じでした。主人公の死に方も、コゼットの新しい愛の対象ができたから、もう自分はいらないのか? 

それから、世間の評価の中での罪と、聖書が罪とすることとが錯綜していたように思いました。聖書的に考えるなら、富む者も貧しい者も神がつくったものなので、貧しさから抜け出すために反逆を起こす革命が美化されているのは、聖書が言っていることと違う部分も混じっているのではないかと思ったりもしたのでした。

素朴な感想では、ジャンバルジャンがコゼットを保護して馬車の中、初めて自分が守らなくてはいけない自分に頼ってくる愛する存在ができて、うれしさに、神からの賜物と歌っているところが感動的でした。

また、俳優さんたちが歌っているのは、彼らの元声ですか? だとしたら、すばらしい声量で、プロみたいで、すごいなぁ~と関心しました。彼らのマネで、自分の自由になる言語で、言いたいことを日常的にもあのように表現したら、ストレス解消になるだろうな~と思ってしまいました。歌っていたのに、突然普通の会話になったりしたのが面白かったです。もう少し普通の会話も混ぜて、ストーリー展開のスピードを速くして、細かいところも出てくるともっとよかったと思いました。

2013年12月25日水曜日

クリスマスについての考察

こんにちは、エパタです。

今日は俗に言うクリスマスの日です。キリストが生まれた日として西側諸国ではそこから西暦というのが作られ、現代にまで使われているからすごいとは思います。

しかし、聖書をよ~く調べてみるなら、この12月25日はキリストが生まれた日ではありません。

6月12日の恋人たちの日と共に、この日は犯罪率が高まる日として、警察官たちの出動、警戒が強まる日でもあります。昨日は近所で二件の家から大ゲンカが、近所中に分かってしまう大音量で聞こえてきていました。

ブラジルでは暦上、この日は半強制的と見える形で、国民全員が家にこもらざるを得ない日なので、金銭的に余裕のある人々は、この日をいかにストレスフリーに過ごすかに心を用い、それぞれ家族のもとへ、あるいは避暑地へと向かいます。

ある説によると、この日は昔、太陽の祭りが祝われていたが、ローマ帝国の政策の中でキリストが降誕の日と定められ、今に至るまで祝われていると言われています。聖書にわかる範囲内で見るなら、キリストが生まれた日には羊飼いたちが野宿をしていたと書かれており、砂漠の寒さの厳しいイスラエルで極寒のさなかにはあり得ないと考えるほうが自然でしょう。ある説では5月であったという考え方もあるそうです。

とは言え、一年のうちのある日はキリストが生まれた日ではありますし、多くの人々が特別な感情をこの日に持って特別に祝っていることが事実です。これを伝道のために利用することは効果的なのではないかと思います。ケンカにならないように、注意しつつ.....。



ちなみにウチのごちそう! 
太巻き(シーチキンマヨネ、アボガド、にんじん、きゅうり、卵焼き)とはるさめサラダ。

頂いてしまいました

こんばんは、エパタです。
M君と遊びに行ってきました。と言っても、みんなうわ心でおしゃべりで時間が過ぎてしまいました。さらに、まったく思ってもいなかったのですが、プレゼントを頂いてしまいました。感謝いたします。主が報いてくださいますように....。


クリスマスシーズンは商店街は夜10時まで営業だそうです。そして、クリスマス当日は、いっせいにお店のシャッターが閉まり、いつもは日曜日でも開いているスーパーまで閉まるので、今日のうちに買い物などをしておかないといけません。なんだか、シャバットを彷彿とさせます。

雑談の中で、Aさんがお母様の思いでを語っておられました。彼女が言った思い出す言葉が「朝起きて仕事をやる気が起きない時は、感謝しなさい」とという言葉だそうです。彼女もクリスチャンだったそうです。マーリン・キャロザース師の本の中の一節のようです。

2013年12月24日火曜日

クリスマスプレゼント



こんにちは、エパタです。

市内の児童養護施設にクリスマスプレゼントをしてきました。プレゼントを受け取ってニコニコしている子供たちの写真を載せられたらよいのですが、ブラジルの法律は難しいのです。

今回、男の子たちはスポーツカーの包装紙、女の子たちはピンクのくまさんの包装紙にしてみました。毎回クリスマスプレゼントをすると、いろいろなことに気づきます。思ったことは、私はプレゼントをする時のラッピングが好きだなぁということでした。



包むというのは、日本文化だそうですよ。以前、あるユダヤ人の記事の中に、日本文化の包むというアイディアを彼らのアートに取り込む試みをしたとか、読んだことがありました。

そうですかねぇ、パオツゥ(包子・まんじゅうのこと)など、中国の文化のような気がしますが。

私の小さい頃、つるした靴下の中に、サンタがプレゼントを持ってくるって、聞いただけで、すぐ「怪しいお父さんでしょ」と思いました。

もし、この記事を読んでプレゼントがしたいと思われた方は、以下の住所に子供用のプレゼントをお送りくださいませ。プレゼントはクリスマスに限りません。男の子用が女の子用の倍の数、必要なようです。

Rua Francicso Braga, 633 - Vila Estadio, CEP 16020-055 Araçatuba-SP, Brazil

2013年12月22日日曜日

いろいろなことが

こんにちは、エパタです。

スーパーで名刺を配り始めて、直接的ではないこともありますが、いろいろな動きがあります。

午前中に繁華街へ行ったら、むか~しのグァララペスの知り合いに会いました。以前ブログに書いた人のお友達で、もう一人のお友達が彼女たちと私の共通の友人です。

この方は看護婦の免許を持っていて、グァララペス市の公立病院で働いています。以前、グァララペスで児童養護施設をつくる場合はボランティアで助けますと(お仕事をすでに持っているので、助けができる範囲内ですが)、言ってくださった方です。(私が質問したからですが)

クリスマス前の人ごみの中で、少し話しただけですが、彼女は引っ越ししたそうで、お孫さんを連れておられました。新しい家の電話番号をいただきました。

それから、例のスーパーに言って、Mさんに挨拶して、出口のベンチに少し座っていたら、隣りに座っていたご婦人が話しかけてきたので、少し世間話をしました。日系の方でしたので、名刺を渡して、自己紹介したら、彼女も日本に住んだことがあり、娘さんは日本に住んでおられると言われました。

また、私の今住んでいる家の大家さんが諸事情で家を明け渡してほしいと言っておられます。この家は便利なスーパーもできて、快適な住みやすい家なので、出たくはないのですが、神様の導きを祈り求めています。もしかすると、またグァララペスへ帰らなくてはいけないのかもしれません。どうぞ、御心がなりますように、お祈りに覚えてください。

2013年12月21日土曜日

一緒に祈りました

こんばんは、エパタです。

スーパーで最初に電話でコンタクトを取ってきてくださった方、Mさんと会いました。

レストラン街のテーブルの一つで、お話をしました。彼女もクリスチャンとのことで、まず、一言お祈りをしてから、お話を聞きました。

一つ重要な問題を抱えていて、祈りを必要としていると彼女は言いました。そこで、テーブルがだんだん混んできたので、場所を変えて、出入口近くでガラス張りの窓から外がよく見えるところで、二人で祈りました。

私が日本語とポルトガル語を混ぜて祈っていると、彼女もブツブツ言っているので、「異言が話せますか?」と聞くと、「話せます」と彼女は答えました。そこで、「もっと大きな声で祈っていいですよ」と言って、二人でしばらく祈りました。

彼女のお昼の休憩時間が終了に近づいたので、それで別れました。彼女に「また電話してください」と言いました。

主が彼女の問題を解決してくださいますように....。

ナザレのイエス

こんにちは、エパタです。

この頃、勉強が楽しいのです。私の勉強方法は、分からないことがあったら、イエス様に「OOはどうしてXXなのでしょうか」とか「最近、△△が気になりますが、何の意味でしょうか」とお祈りします。そして、放っておく。そのうちまた思い出すので、祈りながらインターネットで検索する。そうすると、面白いことを発見する。(^O^)

まどろっこしくなるといけないので、結論から言います。ユダヤ教の一派でエッセネ派という人々は、特定の人物のことをいろいろな(現代で言うところの)あだ名で呼んでいたようです。ウィキペディアによると、「エッセネ派は独自の称号を用いてある人物を呼んでいるが、たとえば『マティフ・ハ・キザ』(偽りの説教師)として言及するのはミシュナーにあらわれるイェシュー・ハ・ノツリなる人物であると考えられている」とあります。よ~くこれを考えてみると、「ノツリ」は現代ヘブライ語で(古代ヘブライ語は知らないので)ナザレ人の意味、「ハ」は定冠詞、つまり、「ナザレのイエス」ということになるわけです。

この頃ブラジルのメシアニック・ジューの方々と話をする機会があり、彼らはイエス様のことを「イェシュア」と呼びます。「イェス」だけだと固有名詞の人の名前ですが、「イェシュア」は「救う者」という意味なのだそうです。つまり彼らは「イエス」を「救い主」と認めています。

一方、エッセネ派の人々は、「イェスー・ハ・ノツリ」は「マティフ・ハ・キザ」であると。

想像にすぎませんが、確定はできませんが、イエス様は批判されて有名だったのだなと思いました。

当時、神殿の支配権はサドカイ派ほかが取っていたとされ、エッセネ派は「神殿がなくても礼拝はできる」という立場で、死海ほとりのクムランの洞窟にこもって写経していたグループもあり、彼らが残したと考えられている「死海写本」は世界最古の聖書写本だとされています。グループの中で、聖書全部を暗記している人々がいて、口頭筆記されたという図を想像します。


2013年12月20日金曜日

初めての反応が!

こんばんは、エパタです。

また例のスーパーに行き、開店オープンした日本食屋さんに名刺を渡し、スーパーで少し買い物をしてレジの女の子に名刺を渡しました。

すると、彼女はエバンジェリコ(ブラジルでのプロテスタントクリスチャンのこと)でした。

彼女が後で、お友達に話してくださり、そのお友達が私に電話してきてくださいました。スーパーでは初めての反応です。

いろいろ積もる話があるようです。とても文法的にきれいで、発音がクリアーなポルトガル語でした。明日またスーパーに行って直接お話しすることになりました。主の御心がなりますように、お祈りください~~。

2013年12月19日木曜日

サイコロ遊び

こんばんは、エパタです。

M君と遊びに行ってきました。軽くサイコロを使って日本語を学びました。

まず、1〜6までの日本語の言い方を覚えてもらいます。じゃんけんでサイコロを振る人を決めます。それ以外の人はどのサイコロの目が出るかを考えて日本語で言います。サイコロを振って、当たった人はおもちゃのお金を
1枚もらいます。最後にお金が多い人が勝ち。

コレ、ブラジル人のツボにはまったらしく、ずっ〜とこればかりやって終わりました。本気出してました。M君がAさんと1枚差で勝ちました。

2013年12月17日火曜日

シロアムの池について

こんばんは、エパタです。

ダビデの町には、考古学的に歴史学的に面白そうな題材がいろいろあります。しかし、アマチュアの思いつきの範囲内で、つれづれなるままに、シロアムの池について、最近興味深いと感じることを書いていきたいと思います。

結論から手っ取り早く言って、つい最近まで新約聖書のヨハネの福音書9章に書かれているシロアムの池は、抽象的存在と考えられていたそうです。それが、2004年秋、下水工事で地面を掘っていた時に、「階段」の一部を発見したことがきっかけで、さらに大規模な発掘調査が始まり、紀元前1世紀のシロアムの池が復元しつつあるそうです。

ダビデの町の位置については、こちら

ペイントで地図まで書いてしまいました。ちょうど地図中に緑で囲んだ部分が、実際緑の木々で覆われた地域なのですが、まさにこの部分にシロアムの池が発見されたのでした。土地の所有権の問題があり、発掘調査ははかどらないそうです。

地図には書けませんでしたが、イエス様は盲目の男と神殿付近で出会い、シロアムの池に行って目を洗うように命じますが、神殿からシロアムの池に直通する道まで発見したのだそうです。(現在は地下だそうです)

水道工事をしていた人が考古学者たちに通知して、調べた時のことがロサンゼルスタイムズに載っています。「階段を見た時にシロアムの池だと思った」そうです。

興味深いと感じたことの一つは、発見されたのが極々最近であったということ。まだまだ面白いことが土の中に埋まっていそうです。

私は高い所とか、地下とか、狭い所などがあまり好きではないので、ヒゼキヤの水道など、ビデオなどで見るだけで十分ですが.....。今は便利な時代で、インターネットのおかげで、古いものから最近のものまでPDFファイルでいろいろな発見についての論文を読むことができます。

ダビデの町は、現在は城壁の外にありますが、エルサレムの中でダビデが一番初めに取った場所であり、当時はこの周りに城壁を造って周辺地域を取っていきました。
 

2013年12月15日日曜日

ゲゼルについて

こんばんは、エパタです。

聖書を読んでいる時に興味深いと感じたことをつれづれと書いています。

聖書の中に出てくる固有名詞で、今のイスラエルの地図にも同じ名前がテル(丘)として載っているのを見つけたりします。世界遺産になったメギド・ハツォル・ベエルシェバもそれらに入ると思います。

ゲゼルもそれらのテルの一つです。ウィキペディアによると、海岸平野地帯とユダの丘陵地帯の境に位置し、軍事的にも見張り所として重要な場所であったそうです。列王記の記載では、ソロモンがメギドやハツォルなどと共に再建した要害とされています。

私の知り合いのユダヤ人がゲゼルの近くに住んでいるのですが、近代的な居住区と石ばかりが散在する小高い丘の遺跡がすぐそばに隣在することに、とても強烈な印象を受けました。写真で見ただけですが。

 wikipedia より

今回興味深いと感じたことは、メギドやハツォルなど大きなテルにも地下水利施設があったそうですが、ゲゼルはグーグルマップなどで見ると、とても小さなテルのように見えるのですが、英語版ウィキを読むと、やはり水利施設がありました。戦時の要害で、水がいかに重要であったかを感じます。

要害に水.... というキーワードで、またダビデの町に帰ってくるのですが、それはまた次回に。

2013年12月12日木曜日

こんばんは、エパタです。

今日もスーパーに行って、レジの女の子に名刺を渡しました。

それから、午後6時ごろ、スコールがあり、虹が出ました。

2013年12月11日水曜日

癒しの祈りをしました

こんばんは、エパタです。

まずはM君のところへ行って遊んできました。世間がもう12月に入って私の頭もバケーションモードなのか、日本語の教材を持ってくるのをすっかり忘れてしまいました。Aさんもいたので、歌だけはやろうと思っていたのですが、お祈りして、いつものカードゲームをやりました。

今回はルール2を使ってゲームをしました。

1. コマンドカードは使わないので、しまっておく。
2. じゃんけんで順番を決め、勝った人はカードをすべて裏返しに手に持つ。
3. 一枚ずつカードを2秒ごとにめくり、表に返してカードを置いていく。
4. 「A」から始めて、絵の中にその文字から始まる言葉があったら、「Pictureka」と言う。
5. 絵と言葉を説明して、皆が同意すればそのカードを取る。
6.  時計回りで次の人がカードの束を持って、同様のことをする。
7. カード数が一番多い人が勝ち。

これはかなり面白かったです。みんな燃えていました。Pictureka と言わなくていけないところ、言葉を直接言ってしまっていましたが。

Mが勝ちました。お祈りをして終わりました。

それから郵便局へ行って、切手を買った時に、局員さんに「日本語をやりませんか?」と名刺を渡しました。

その後、いつもの伝道カフェへ。オーナーさんと世間話。マンデラ氏の葬儀にジルマ大統領がポルトガル語で挨拶の言葉を語ったことについて、私が「英語でやってほしかったけどねぇ」と言ったら、彼女はジルマ嫌いだそう。しばらく演説がありました。

彼女が「足が痛い」というので、ちょうどお客さんが誰もいない時だったので、初めてカフェで癒しの祈りをしました。祈り始めたら、手のひらがビリビリするような感覚がしてきて、思いもよらず、とても大胆に日本語とポルトガル語とで祈れました。彼女も「よくなった」と言っていました。もっと祈らなくてはと思わされました。

主にご栄光をお返しします。

2013年12月10日火曜日

ブラジル人的突っ込み

こんばんは、エパタです。

先週木曜日に母とスカイプ電話で話をしていた時に、スーパーができるように祈っていたら、巨大スーパーができた話をしました。母はそれは良かったと単純に喜んでくれたのですが、話していた私自身が、ブラジル人が相手だったら、必ずするだろうと思われる突っ込みに思い当ったのでした。

それは、「ねぇ、そんな巨大な建物が徒歩5分の所にできていたのに、気がついたのはオープンの前日?」

情報収集能力の素晴らしいブラジル人ならば、最低でも2、3か月前から分かるはず....。

そこで、また今日もスーパーに行く道で、以前家の水道設備が崩壊した非常事態に助けてくれたおじさんが家の前に出ておられたので、聞いてみました。

「近くにすごいスーパーができましたね? いつからつくっていることを知りましたか?」
「もうだいぶ前。8か月前から」

やっぱり。しかし、なんと8か月も前から!

いかに自分の情報収集能力が低いかを思い知りました。

スーパーでトイレットペーパーの値段定めをしていると、私に「これって安いの?」とつぶやきかけ、「このスーパーは安い物もあるけど、ある物は二倍もする物もあるから注意よ」と世間話を振ってくださった女性がいたので、私も例の名刺をお渡ししました。

さらに御心の伝道が開かれますように....。

2013年12月8日日曜日

レジの人たちに

こんにちは、エパタです。

またスーパーに行ってきました。帰り際にレジのところで、「日本から来た宣教師です。日本語を無料で教えます。近くに住んでいますから、電話してください」と名刺をお渡ししました。

すると、彼女が「いいねぇ!」と言って、別のレジの人に見せていました。そしてまた別のレジの人が「こんにちは~」と日本語で「さいたまに住んでいたのよ」とポルトガル語で言いました。ご主人が沖縄の方だそうです。彼女にも名刺をお渡ししました。

さらに御心の出会いがあり、御心の伝道をすることができますように....。

2013年12月6日金曜日

ブラジル年間観光客数600万人

こんにちは、エパタです。

昨日のグローボ誌(リオデジャネイロ)によると、同日朝、ブラジルへの今年600万人目の観光客がガレオン国際空港に到着し、記念の大歓迎を受けたそうです。2005年の500万人の記録以来の、過去最高記録だそうです。

わ~い、ブラジル、レジャーが少ないのは、脇に置いておいても、観光客をもっと歓迎して、ブラジル経済のために利用すればいいのに、とこの17年間思ってきましたが、やっとこれで?!  という期待が少し...。

元々移民の国なので、ブラジル人のアイデンティティを崩さないようにという国の努力はわかりますが。まぁ、難しいところです。

汚くて、危なくて、ドロくさい所に、本当のブラジルを感じるという気持ちは、わからないでもないので。

それにしても、ブラジル人のホスピタリティーは国民的美徳です。

名刺を渡しました

こんばんは、エパタです。

例のスーパーに行って、物色しておりました。魚類を探しましたが、鮮魚はなく、冷凍が少しありました。

ストレートりんごジュースが(あるだけでも珍しいのですが)高いなぁーと見ていたら、横から「これはどういうものなんでしょうかねー?」とポルトガル語で話しかける声が。声の主は日系人のご婦人でした。
「たとえばりんごを擦って、絞って、ジュースを出して、カスを捨てたら、こんな感じになります」
とポルトガル語で言って、
「日本語話しますか」
と言ったら、
「はい、少し」
そこで、即席のPCで作った名刺をお渡しし、
「日本から来た宣教師です。日本語を無料で教えますので、連絡してください」
と言いました。

彼女はMさんで、スーパーにはご主人と来ておられて、後でご主人にも会ってご挨拶しました。

出会いのチャンスを主に感謝します。さらに御心の方々と出会い、また伝道することができますように.....。

2013年12月3日火曜日

ブラジル版マーチ・フォー・ジーザス

ブラジルのマーチ・フォー・ジーザスが行われていました。

サンパウロに住んでいた時に、参加したことがあったのですが、メイン通りのパウリスタ通りが人、人、で埋め尽くされていたのを見ているので、アラサトゥーバのは、ずいぶんひっそり、という感じがしました。

アラサトゥーバ設立記念日の祝日で、町自体がひっそりしていたので、いよいよその感じがしたということもあったのかもしれません。

(ブラジル人は休みの日には、自宅でゆっくり過ごすことが好きな人が多いようです)

会場に向かう時に駐車している車がほとんどないので、本当にここだったかなと疑いの心が起きてきてしまったほどでした。しかし、行ってみると、しっかり人だかりができていました。

ブラジル人はしっかり自分の足で歩くんだなぁと、感心したことでした。


スーパーで

こんばんは、エパタです。

スーパーが開店してからというもの、ほぼ毎日行っています。必ず名刺を持っていきます。チャンスが来ますようにと祈りつつ。

すると、私がパン屋のコーナーで品物を注文していると、スーパーの開店日にすれ違って、「こんにちは~」と挨拶した日系人のご婦人が、また通りかかり、今度は彼女のほうから声をかけてくださいました。

「あなた、Rさんと一緒にいた人じゃない?」
「そうです。私は宣教師で、無料で日本語を教えます。話し相手がいないので、どうぞよろしくお願いします」
と言って、名刺をお渡ししました。

さらに御心の方々に話をすることができますように.....。

2013年12月1日日曜日

またまたポーランドから

おはようございます、エパタです。

今週もまたポーランドからアクセスがありました。

私はポーランドが好きなのです。理由はショパンが好きだから。単純です^^

ジエンコーヤン !!

ありがとうのポーランド語だけは覚えました。

覚え方、「自演こうやん?」

関西弁でおます。(^^)

祈りの答え・スーパーができた!

こんばんは、エパタです。
家の近くに大型スーパーができました。1ブロック歩いて、もうスーパーが見える近さに!! 行ってみたら、徒歩15分以内に買い物をして帰ってくることができました。
 
実は私はスーパーが近くにできるようにと祈ったのです。
 
私はこれまでにサンパウロやリオデジャネイロにも住みましたが、引っ越しする時に私の祈りの課題にはいつも「スーパーとショッピングセンターが近い所」と入れていました。サンパウロでもリオデジャネイロでも、ぴったり祈りの答えと思える便利なスーパーとショッピングセンターがありました。
 
アラサトゥーバでは、バスセンターに近い、連邦税務署に近いなど、便利な点はいろいろあったのですが、(安い)スーパーが遠かったのです。自転車で20分かけて行っていました。そこで、ある時、一か月くらい前だったと思いますが、「今までも祈りが答えられたのだから、また祈ってみよう」と、明確な形で口に出してではなく、思いのうちに願いをもって、何度か祈りました。

これまでも私はよくスパーか、ショッピングセンターにいる夢を見ました。いつも自分の願望だろうと気にしていませんでした。

先週の木曜日にまたショッピングセンターのような所にいる夢を見ました。その後、何か(忘れてしまったのですが)「これは主が何か言っておられるかもしれない」と感じることが2点、幻のような感じで示されました。夢の中でこれは書き留めなくてはともがきましたが、目覚めた時には忘れていました。するとその日の朝、通りを走る宣伝カーが「スーパー開店」とアナウンスしていました。これだと思うと同時に、何を示しと思ったのか書き留めることができなかったことを悔い改めました。そして、何か主が示しておられるならば、また示してくださいと祈りました。このことは主の御手にゆだねます。


主は私の思いと願いを超えて、想像以上の最高の答えをくださいました。

小さな事のようですが、コレ、あるかないかで、生活にずいぶんな違いがあります。

さらに気分転換のための良い運動にもなります。この坂道~~....。体力が衰えているので、派遣の準備か? と思ってしまいました。

身の周りの小さな事にも配慮してくださる主をほめたたえます!



2013年11月29日金曜日

風邪が治りました!

こんにちは、エパタです。

母とスカイプ電話で話しました。

お祈りをお願いしていました風邪ですが、治ったそうです。お祈りをありがとうございました! 父にはうつらずに治ったそうです。ぴったり祈りが答えられました。ハレルヤ~~。

経過を詳しく書きますと....。

先週の木曜日にスカイプで母と話をした時に、咳をしていて、弟家族から順番に風邪がうつり、自分にもうつってしまったとのことでした。

母は2006年に風邪を引いた時に、元々自律神経が弱い方ではあったのですが、風邪のために嗅覚と味覚が麻痺してしまったことがありました。その時、お医者さんに「風邪をひかないように。今度同じことになったら、元に戻らない」と言われたのだそうです。ですから、いつも「風邪をひかないように」と祈ってはいたのですが、かかってしまいました。

そこで、一週間私も母の風邪が速やかに治るように、熱心に祈りました。また、父にうつることがないように祈りました。

父もよく風邪をこじらせることがあり、数年前には肺炎になり、病院をいろいろたらいまわしにされた結果、体重がずいぶん減り、げっそり痩せてしまったことがありました。私が一時帰国していた時にも父は風邪をひいてしまいましたが、私が病院に行ったほうがいいとしきりに言ったところ、病院に行ってくれて、大事をとって入院となったのでした。

今回、父は4日前から友達と富士山に花の写真を撮りに行ったそうで、母一人でマイペースに養生したのだそうです。タイミング良く、感謝です。

たかが、風邪、されど、風邪。風邪は危ないです。皆さん、お気をつけて~~。

2013年11月23日土曜日

спасибо

привет как дела? что ты делаещь сейчас? ;)

2013年11月22日金曜日

母とスカイプ電話で話しました

こんばんは、エパタです。

母と話しました。日本は寒くなってきているそうです。乾燥がひどくて湿度20パーセントで、家族が順々に風邪をひいていて、母にもうつってしまいました。コンコン咳をしていました。まだ熱は出ていないそうです。母は前に嗅覚・味覚に異常が出たことがあるので、お医者さんに風邪をひくなと言われています。どうぞ、速やかに癒されますように、父にうつりませんように、お祈りください。

2013年11月19日火曜日

Cura do sistema nervoso olfativo da minha mãe (with English translation)

Quero compartilhar a cura do sistema nervoso olfativo da minha mãe.

line-f-leaf-03.gif

A minha mãe mora no Japão e orou para arrepender-se em 2002, quando eu fui ao Japão, mas ela ainda não está indo à igreja como ela mora num lugar bem interior. E foi em 2006, quando fui na casa dela novamente, ela falava que não está sentindo sabores da comida e não está cherando nada. Ela tinha um problema de nervos autônomicos. Ela procurou médico, mas ele falou assim, "Se tivesse me procurado mais cedo, teria um jeito de ser curada, mas foi tarde de mais. e o seu sistema nervoso olfativo está danificado." Ela falava que demorou dois meses para procurar o médico. Eu orei por ela colocando a mão no nariz dela. Acho que foi primeira vez de orar pela cura dela. Ela assustou nada e recebia a oração.

line-f-leaf-03.gif

E foi em setembro de 2009, eu escrevi um e-mail perguntando sobre isso. Ela respondeu, "Eu posso sentir os sabores, doce, picante e salgado, então estou conseguindo fazer comidas. Mas, não sei se está bom ou não. Não cheira nada da comida. Posso comer algo, mas não está gostoso. Se comer algo beliscando o nariz, não dá para saber o que comeu. Isso é que acontecendo comigo.... E o médico me adverteu para eu não pegar um resfriado."

line-f-leaf-03.gif

Aí eu pedi para igreja orar por ela. Em fevereiro de 2010, ela me escreveu por um e-mail assim, "Obrigada por ter orado por mim. Eu acho que o meu nariz começou a funcionar melhor. Estou sentindo cheiros de comidas. E depois, eu liguei para ela e perguntei. "Melhorou o seu nariz? Escreveu que está cheirando comidas. E os sabores? Está sentindo sabores?" Ela respondeu, "Eu estou sentindo todos os sabores!!"

line-f-leaf-03.gif

Desde então, o nariz dela foi curado totalmente e semana retrasada eu conversei com ela e ela falou que foi um "milagre". Dou toda a honra e glória ao Senhor Jesus.

PS
Por favor ore para que ela pertença alguma igreja mais rápido possível.


______________

I want to share the healing of the olfactory nervous system of my mother.

My mother lives in Japan and accepted Jesus as her personal saviour in 2002, when I went to Japan. She is not going to church, because she lives in a country side. It was in 2006 when I was at her house again, she told me that she was not feeling the smell of the food and flavors totally. She had a problem of autonomic nerves . She sought a doctor, but he told her, "If you 'd come to me sooner, you would have a way to be cured, but it was too late. Your olfactory nervous system is damaged." She said that it took two months for her to seek medical advice. I prayed for her putting my hand on her nose. I think it was the first time to pray for her healing. She was not surprised and received prayer.

September 2009, I wrote her an e- mail asking about it. She replied, "I can feel the flavors, such as sweet, spicy and salty, so I can make food. But I do not know if it's good or not. I can not smell the food anything. Can I eat something, but it is not tasty . If you eat something pinching your nose, you can not know what you ate. This is happening to me .... And the doctor adverted me so I do not catch a cold."

Then I asked the church to pray for her. In February 2010, she wrote me in an e-mail, "Thank you for praying for me. I think my nose started to work better. I'm feeling smells of foods. And then I called her on the phone and asked her, "How about your nose? You wrote me that you are smelling foods. And the flavors? Are you feeling the flavors? "She replied," I'm feeling all flavors! "

Since then, her nose was completely healed. Last week I talked with her and she said it was a "miracle". I give all honor and glory to the Lord Jesus.

Poder de dar graças (with English translation)

Quando eu morava no Rio de Janeiro, morava num pencionato. Quando entrei eu morava sozinha no quarto, mas o quarto era para quatro pessoas. Assim depois vieram outras tres moças.

Eu se dava bem com as moças, mas a última moça começou a falar contra mim dizendo que roubei a coisa dela. Eu não roubei nada, mas não falei nada sobre isso e dei graças ao Senhor Jesus sobre isso. Louvei ao Senhor sobre tudo que aconteceu e também pedia que o Senhor mesmo resolvesse o problema.

Aí então, passaram alguns dias. A moça achou a coisa que perdeu dentro das coisa dela. O senhor Jesus resolveu o meu problema com ela. Depois ela começou a falar sobre a vida dela. Morava num orfanato, mas a vida lá era horrível e fugiu. Ela não tinha família, mas sabia que tinha um parente e estava o procurando.

Eu e ela ficamos muito amigas e começamos a ter um momento de louvores ao Senhor juntos. Era uns momentos muito divertidos. Quando o meu visto venceu e não dava para receber o sustento do Japão e acabou para mim até a comida, ela me ajudou e dava comida para mim.

Aí, ela arrumou um trabalho no Portugal.

O Senhor resolveu o problema através de dar graças para todas as coisas e louvar ao Senhor em qualquer situação.

Dou toda honra e glória ao Senhor Jesus.

______________________________________

When I lived in Rio de Janeiro , lived in a shared house. When I entered there, I lived alone in the room. But the room was for four people. So then came more three other girls. I got along well with the girls, but the last girl began to speak against me saying I had stolen her thing. I did not steal anything, but I said nothing about it and gave thanks to the Lord Jesus about it. I was singing praises to the Lord about everything that happened. And I was also asking that the Lord would solve the problem.

There then passed a few days. The girl found the thing lost within her things. The Lord Jesus solved my problem with her. Then she started talking about her life. She was in an orphanage, but the life there was terrible and fled. She had no family, but she knew she had a relative and was looking for him .

She and I became good friends and we started to take a moment to praise the Lord together. It was very amusing moment. When my visa was expired and I could not get the support from Japan and ended up the food for me, she helped me and gave me food.

Then, she found a job in Portugal.

The Lord has solved my problem by giving thanks for all things and praise the Lord in every situation.

I give all honor to Jesus.

Salvação

Hoje quero compartilhar sobre a salvação que aconteceu no Rio de Janeiro.
Foi na hora de evangelização na Praia de Icaraí. Fomos lá os irmãos da igreja e começamos a cantar louvores em Japonês e Português. Quando estavamos cantando, eu percebi que um senhor que estava no banco prestava bem atenção ao nosso louvores. Depois de acabamos a cantar, começamos a falar para as pessoas que estavam nos ouvindo. Fomos até o senhor que estava no banco e uma moça da igreja falou assim, "Jesus foi crucificado por causa dos nossos pecados e ele ressuscitou e vive hoje mesmo. O senhor acredita nisso?" O senhor falou "Sou católico, mas não sou praticante. Eu acredito Jesus é uma pessoa que fez grande obra, mas eu estou esperando um momento em que possa acreditando nele. Mas eu acho que preciso de um tempo para isso. E ainda não é hora de acreditar nisso." A moça falou, "Jesus está aqui conosco. Eu vi que o senhor estava sentindo a presença dele. Importante é ter fé. Acho que já chegou a hora de o senhor aceitar Jesus." E o senhor continuou. "Na verdae eu lembro de uma coisa que aconteceu na minha vida. Era uma dificuldade. No meio de dificuldade eu clamei a Deus para resolver o problema. E aí, a minha oração foi ouvida." A moça falou. "Isso mesmo. Deus enviou ao mundo o seu único filho Jesus para salvar o mundo. Ele está te esperando agora é a hora de aceitar ele. Vamos orar agora?"Ele aceitou Jesus naquele momento até estava com lágrimas nos olhos. Eu dou toda honra e glória somente ao Senhor Jesus.
2007/12

2013年11月18日月曜日

その後...

こんにちは、エパタです。

その後のご報告...

ヤフーメールが一番怪しいので、(以前にも不審なことがあり、メールアドレス変更したかった)この際、メールアドレスも一新しました。ヤフーメールは廃止にしますので、どうぞよろしくお願いします。Gメールは使っています。

アイフォンのアプリはほとんどすべて削除しました。ツィッター、スカイプ、ラインなど使っていて削除したら困るものも思い切って削除しました。便利なものがないと不自由ですが、しばらくこの不自由さを楽しみ喜ぶことにしました。

そうすると、今まで知らないで使っていた諸々の仕組みなどに気付かされて、勉強になりますなぁ~~

Javascript と cookie もオフにしたら、safari の今までできていたこともかなり、できなくなりました。(これも喜びます!)

ツィッターのパスワードを変更して、PCで変な書き込みがないかどうか、度々確認しています。ツィッターが一番入り込まれやすいようです。

2013年11月16日土曜日

再会!

こんばんは、エパタです。

いつもお世話になっている大家さんから電話があり、Pホテルのレストランでお昼ご飯をごちそうになってきました。

そうしたら、前に日本語を習っていてレストランの仕事をやめてしまい、消息がわからなくなっていた女の子が、レストランに戻っていました。ブログに写真載せていい?と聞いたら、OKくれました。



 


ずっと、ベタニヤはどこにあるんだろうと疑問でしたが、今日わかりました。アラブの町で al-Eizariya という町でした。

2013年11月14日木曜日

ベルギーから!

 
こんばんは、エパタです。
ペルギーよりアクセスいただきました。ありがとうございます!
 
今日はずいぶん昔の友人から電話がありました。グァララペスでとても楽しく暮らしていた時の友人たちの一人です。そういえば、昨日の夜、寝る前に突然彼女のことを思い出して、名前が思い出せず、しきりに名前何だったかなと考えたことでした。私がブラジルに来たばかりの時に独り暮らしを始めた町ジャンジーラにたくさん親戚がいて、昔住んでいたこともあり、(もう退職されましたが幼稚園の先生だったそうです)これからちょっと行ってくるとのことでした。彼女の旅が守られますように。

2013年11月12日火曜日

カナダから!

 
こんにちは、エパタです。
 
カナダから! ポチッとありがとうございました!
マレーシアからもいつもありがとうございます。
 
教会のメンバーたちがヨーロッパ宣教の旅をしています。こちらもよろしく。
 
http://antiochblog.jp/mission/europe201311/
 

2013年11月11日月曜日

ブリュッセル聖会が行われます

ブリュッセル聖会11月12日 現地時間 午後6:00~
Brussels : ブリュッセルRADISSON BLU ROYAL HOTEL, Brussels

Salon 3 にて!!

Rue de Fosse-aux-Loups 47
Wolvengracht 47
1000 Brussels, Belgium

どなたでも歓迎します!
Welcome!

2013年11月10日日曜日

アクセス!!

 
こんにちは、エパタです。
 
チェコとポーランドから、初めてアクセスがありました!!
歴史的瞬間、うるっ....。
 
ありがとうございます!!

ウクライナとドイツから、いつもアクセスしてくださる方も、ありがとうございます。
それからアメリカとブラジルと日本からも、いつもご訪問を感謝いたします。

イエス様が豊かに祝福してくださいますように......。
 
I hope more accesses from various countries all over the world ^^

2013年11月9日土曜日

ワルシャワ聖会が行われます

ワルシャワ聖会11月11日 現地時間 午後6:00~
Warsaw : ワルシャワ HILTON WARSAW HOTEL & CONVENTION CENTRE
Grzybowska 63, Warsaw 00-844 Poland
どなたでも歓迎いたします。
+48 22 356 55 55

プラハ聖会が行われます

プラハ聖会11月8日 現地時間 午後6:30~
Prague : プラハ Sbor Bratrske Jednoty Baptistu 教会内、二階の小会堂
どなたでも歓迎いたします。

プラハ城を背景に走る市電

近くを路面電車が走っている模様です。行ってみたいなぁ~。
Wikipedia より

2013年11月8日金曜日

オーストリアから!!

 
おはようございます、エパタです。
 
オーストリアからのアクセスがありました! 
ありがとうございます!!
 

2013年11月7日木曜日

エルサレム旅情報・番外編~黄金門への行き方

こんにちは、エパタです。
 
私も今インターネットで黄金門のところにいます。^^
 
シュミレーション的にはダン・エルサレム・ホテルから車を運転してきました。^O^
  
(行き方)
ホテルを出てロータリーを一周し、ガードマンさんに挨拶して、道に出て(レヒ通り)右折。

一本目の大通りアーロン・カツィール通りを右折。

すぐに左折なので、レーン左に寄って、大通りヘブライ大学通りを左折。

さらにまたすぐ右折に右寄りに行って、ヴァディ・アル・ジョズ通り(いかにもアラブ系)に入る。

これをずっと南下。高速番号がついていて、417番。

すると、もう右前方に城壁群が見えてきます。右折すると、ダマスカス門へ、そのまま直進。

左を注意すると、(あるいは助手席に乗っている方に見ていただき^^)ド派手の金キラキンの教会が見えてくる。もう近いです。

二本目の通りを右折して、遠くに金キラ教会を真ん前に見て、駐車。黄金門を見上げています。

-----------------------

車を駐車する場所がどこかにあれば、歩いてステパノ門の入り口から黄金門の近くまで行けるようです。教会のブログより




 

2013年11月5日火曜日

メシアニックジューの集会

こんにちは、エパタです。

教会のブログによると、イスラエルへ旅行中のメンバーたちはメシアニックジュー(Messianic jew / イエス・キリストを信じるユダヤ人)の集会に参加できた模様です。



臨場感があります。私も行ったような気になりました。

2013年11月4日月曜日

今年の御言葉

こんばんは、エパタです。

主の十字架クリスチャンセンターの教会としての今年の御言葉が発表されました。
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(ピリピ4:4)

この御言葉を黙想しながら、教えられたこと....。
まずは、聖書の中で「喜び」のキーワードで検索してみました。

1. 神様は物質的なことを含めて多くの天からの恵みで私たちを喜ばせてくださっていること。たとえば、雨を降らせて、豊かに食べ物をくださることによって。
2. 聖霊に満たされることと、喜びに満たされることには関係がある。(ヨハネの福音書などより)
3. 目に見えないものを信仰によって喜ぶこと。「天に名前が記されていることを喜びなさい」など。目に見えないがしかし現実であるもの、その一番目は神様の言葉。御言葉を喜ぶ。(エレミヤ書などより)

踊る、叫ぶ、宣言する.... などのアクションを使って喜ぶことはすでにやってきているので、継続しつつ、今年は感情を使って、神様が今もうたくさん与えてくださっているものを喜び、さらにこれから与えてくださるもの、いろいろ想像しながら、喜んでみたいと思います。

2013年11月3日日曜日

体験談シリーズ・ブラジル永住権取得

ブラジルへの続きです。

私は日本からブラジルへ派遣される時に、教会の祈り会の中で、預言を通して(新約聖書の1コリント14章ほか参照)「永住する」と言われました。

ブラジルでのホストファミリーの方が、私のビザのためいろいろと調べてくださったところ、
「昔は宣教師の受け入れは簡単だったが、(オウムのサリン事件がきっかけで)法律が変わって難しくなった」
と言われました。

とうとうビザが切れて、そのままの状態が続きました。

982月に神様に「リオデジャネイロへ行くように」と語りかけを受けました。それはいろいろな状況や、私の思いの中で、そうしたほうがよいのではと考え出したのです。同時に、「リオデジャネイロに行く時、そこから海外への道が開かれる」と言われました。

私自身は、ビザが切れていることで、気が重く、いったいどう解決するべきかと毎日思い悩んでいました。パラグライなどへ一度出たらよいのではないかなどといろいろ考えました。

ある時、思い煩いに耐え難くなりました。神様に
「どうぞ、何でもいいですから、合法的に滞在できるビザをください」
と祈りました。すると、神様は
「なんでもよいではなく、私は永住権を与えると言ったではないか。永住権を求めなさい」
とはっきり語ってくださいました。そこで、私はビザなら何でもいいと思っていたことを悔い改めて、具体的に永住権を求め始めました。

9月、銀行で送金を受け取ろうとした時、ビザが切れていることがわかってしまい、銀行の方に「まずビザを取得してから、来い」と言われました。

あまりのショックで茫然として、何をしたらよいかわからず、ベンチで聖書を読んでいました。すると、列王記4:7から「行ってその油を売り、あなたの負債を払い、その残りであなたと子供は暮らしていける」という言葉が語られました。

帰り道、所持金1レアルであることを徹底的に感謝をしました。暮らしていけると神様が言っておられるので、感謝しますと祈り続けました。

食料もなくなった時、住んでいた間借りの同室の女の子が助けてくれました。

その期間、聖書から黙示録2:10より「10日の間苦しみを受ける」と語られ、神様はこの苦しみは10日間で、助けが来ると語ってくださいました。


10日めに、住んでいた間借りの家の玄関の呼び鈴を押す人がいました。出てみると、以前最初にリオデジャネイロに来た時にホテルを手配してくださった旅行社のMさんが、送り続けていた教会の情報誌を見て、私の住所を探しあて、訪ねてくれたのでした。

Mさんの家にうかがうと、テーブルに置いてあった新聞のトップ記事に日本語で「永住権本当に取れる?」とあり、びっくりして読みました。なんと、ブラジルの大統領が、ある特定の期日までにビザが切れている者、いわば不法滞在者に永住権を与えるという法律を出したことが書かれてあったのでした。ビザはとうの昔に切れています。

所持金ゼロであることを相談すると、Mさんが私が当時販売していた教会の書籍類すべてを買い取ってくださいました。それで、ビザの申請のための諸々の手数料を支払うことができました。さらにMさんは旅行社の方だったので、ビザの手続きも助けてくださり、身元引受人にまでなってくださいました。

そして永住権の前段階の一時ビザを取ることができ、銀行に行って送金を受け取ることができたのでした。

まさか、大統領特赦なんて、こんな方法があるとは、思ってもいませんでした。主をあがめます。

体験談シリーズ・ブラジルへ

導きの証しシリーズ長期宣教師への導きの続きです。

ロサンゼルスでは3か月のウエイバービザで滞在していました。とうとう税関で止められるようになり、日本へ帰国することになりました。

二度と日本へ帰らないと思っていた私は、敗北感でいっぱいでした。祈り続ける中で、ある時神様は「あなたをブラジルへ遣わす。言葉をやっておけ」と言ってくださいました。ブラジル人の知り合いもいないし、ブラジルというとサッカーと、芋とサトウキビくらいしか、知りませんでした。

しかし、ブラジルについていろいろ調べ始めたり、カセットつきポルトガル語会話の本と、ポルトガル語聖書の詩篇の朗読テープを買って、意味がわからなくても聞き流していきました。

ブラジルへ入れるビザについて調べたりしましたが、日本語教師などが少数入っているが、今は受け入れなしと書いてあり、大使館へ電話したりしましたが、セクレタリーがエンドレステープのようにグルグル回っているばかりでした。

そのようなある日、夢を見ました。私が一人立っていて、たくさんの子供たちが私の周りにいました。小さい声で何か言っていました。祈っているようでした。その中のある子が言いました。
「遠くの町々の灯かりが見えるよ」
目を覚まして一番最初に会った人は、その中にいた子でした。彼女は神奈川県に住んでいたはずで、年齢的にも一人で東京の教会まで来るのは難しい感じがしたのです。彼女に会った時、不思議な気持ちになりました。私が今見た夢の中にいましたよとは言いませんでしたが

当時、東京の教会は国分寺駅ビルの最上階で礼拝をしていました。ビルにはシースルーのエレベーターがあり、眺めが良かったので、外を見ていると、背後からどっと子供たちが入ってきて、
あ~~、遠くの町の灯かりが見える~~」
とある子が言いました。私は、夢の中で子供が言っていた言葉だと思い出しました。

聖書を読んでいると、「広い所へ導く」「住むべき場所」という言葉が目につくようになりました。ちょうどテレビでは、ブラジルのドキュメンタリー番組がやっていて、ブラジルは広々としていて、地平線が果てしなく続く国だとわかりました。

それから、よくブラジル人に会うようになりました。ある時は、教会のツアーでイスラエルに行きました。ツアーが終了し、テルアビブ空港でいよいよイスラエル出国という時、なんと私たち53人の日本人の前に、38人のブラジル人のツアーがずらーっと並んでいました。皆がお揃いのイスラエルとブラジルの旗のプリントTシャツを着ていました。ヘシーフェのクリスチャンの団体でした。

実家の近くでもブラジル人と知り合って、仲良くなり、ブラジル料理を家で食べさせてくれたり、ブラジル専門店に連れていってくれたり、ポルトガル語を教えてくれたりしました。

その後、突然、一人の教会の女性がブラジル人の方と結婚されました。彼らが結婚のお披露目のためにブラジルに行くことになり、そのブラジル人の方のお知り合いが役員をしている教会へ、私たちの教会の牧師が招待されました。音楽担当の方など、18人のツアーが組まれることになり、18人目は無料ということになり、私は無料で参加できることになりました。

聖書を読んでいると「私が示す地へ行け。足で踏む所はあなたに与えている」(ヨシュア1)という言葉が心に響きました。

実家へ帰ると、母がテレビの前に座っていて、なんとサッカーを観戦していました。「趣味が変わった?」と一緒に見ていると、テレビ画面に「イエス・キリストのおかげです」と文字が出てきました。(母は未信者でした)私からでさえ、はっきりとは言えなかったキリストのことがテレビ画面に出てき、母は自然とそれを見ていました。日本も変わったなと思いました。それで、私は母に「私はブラジルに行くよ」と自然な形で信仰告白ができたのでした。(別れを告げたわけではありません)

ある時、母と二人で歩いていると、ブラジル人の一行とすれ違いました。耳を傾けると、ポルトガル語でした。母に
「あの人たちはブラジル人だよ」
と言うと、
「あ~~、ブラジルって、あんたが行く所かい?」
と返事が返ってきました。(ああ、お母さん、私はもうブラジルに行くことになってるのねと思いました)

派遣が迫れば迫るほど、私は日本が一番だ!病にかかり、日本はいいな、でももうこれもできない、あれもできなくなると思いました。

教会からブラジルへ行く派遣チームの日程は2週間ほどの予定でした。派遣直前の徹夜祈祷会で、「サンパウロ郊外に器が用意されている。永住する」と預言がありました。そのことを聞き、ある方は、「今回のチームで居座れば?」と冗談を言われました。また、ある方は、生活費の全部ではないかと思われる献金までしてくださいました。その献金を手にした時、「私は本当にブラジルに行って、帰って来ないかもしれない」と思いました。そこで、もし急な導きがあって、ブラジルに残れることになったとしても、残した物に未練がないように、身辺整理をしていきました。父にもらったギターをあげ、やっと便利になって使いこなせるようになってきた自転車もあげ(いただき物でしたが)ました。

いざ、派遣へ行くと、招いてくださった教会役員の方の息子さんが、私たちの教会の話を聞いて、協力したいと申し出てくださいました。私はその方のご家庭にホームスティできることになり、長期滞在のビザもお世話をしてくださることになったのです。

体験談シリーズ・ロサンゼルスでの思い出①運転免許

こんにちは、エパタです。

これは以前書いた記事の続きです。いろいろ思い出すことがあるので、記念のために書いておきます^^

私が最初にロサンゼルスに向かったのは92年3月末で、季節に似合わない大雪が降る日でした。飛行機が飛ぶかと心配しましたが、無事ロサンゼルスに行きました。ノーウォークのWさんのお宅で集会をもちました。

それからいったん帰国し、ふたたび4月半ばにロサンゼルスへ長期宣教師として遣わされました。パサデナのウィリアムケアリーに宿泊して、Wさん宅とDr.Yさんの診療所での集会をもち始めました。

ここで少しさかのぼります....。

ロサンゼルスに行く前に、教会の人に「アメリカでは車の免許は身分証明書の代わりで、ないと困る」と言われました。当時日本では車の免許は30万円かかる。お金はないが、教習所へ行ってみました。平日で開いているはずが、二日続けて閉まっていました。おかしいなと思いましたが、感謝して主にゆだねました。

ロサンゼルスで一緒だったお二人は、すでに日本の免許を持っていて、国際免許で運転しておられました。長期滞在のため地元の運転免許を取り直すため、DMVへ行きました。私も行き、お二人が列に並んでいる時、ベンチに座り、聖書を読んでいました。すると、ルツ記の言葉が心に響いてきて、聖霊に「あなたも並びなさい」と語られました。

葛藤がありましたが、私も列に並んびました。牧師は複雑な表情をしておられましたが、「私も免許を取りたいのですが」と言うと、運転手が増えるので、喜んでくれました。

筆記試験で日本語があり、聖霊に助けを求めながら答えていくと、合格しました。実技試験はすでに免許を持っていた二人に指導していただき、合格しました。日本では30万円かかると言われていましたが、カリフォルニアで13ドルで免許を取ることができました。主をあがめます。(追記:後に更新の仕方を知らなかったので、期限切れしてしまいましたが)