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2013年12月21日土曜日

ナザレのイエス

こんにちは、エパタです。

この頃、勉強が楽しいのです。私の勉強方法は、分からないことがあったら、イエス様に「OOはどうしてXXなのでしょうか」とか「最近、△△が気になりますが、何の意味でしょうか」とお祈りします。そして、放っておく。そのうちまた思い出すので、祈りながらインターネットで検索する。そうすると、面白いことを発見する。(^O^)

まどろっこしくなるといけないので、結論から言います。ユダヤ教の一派でエッセネ派という人々は、特定の人物のことをいろいろな(現代で言うところの)あだ名で呼んでいたようです。ウィキペディアによると、「エッセネ派は独自の称号を用いてある人物を呼んでいるが、たとえば『マティフ・ハ・キザ』(偽りの説教師)として言及するのはミシュナーにあらわれるイェシュー・ハ・ノツリなる人物であると考えられている」とあります。よ~くこれを考えてみると、「ノツリ」は現代ヘブライ語で(古代ヘブライ語は知らないので)ナザレ人の意味、「ハ」は定冠詞、つまり、「ナザレのイエス」ということになるわけです。

この頃ブラジルのメシアニック・ジューの方々と話をする機会があり、彼らはイエス様のことを「イェシュア」と呼びます。「イェス」だけだと固有名詞の人の名前ですが、「イェシュア」は「救う者」という意味なのだそうです。つまり彼らは「イエス」を「救い主」と認めています。

一方、エッセネ派の人々は、「イェスー・ハ・ノツリ」は「マティフ・ハ・キザ」であると。

想像にすぎませんが、確定はできませんが、イエス様は批判されて有名だったのだなと思いました。

当時、神殿の支配権はサドカイ派ほかが取っていたとされ、エッセネ派は「神殿がなくても礼拝はできる」という立場で、死海ほとりのクムランの洞窟にこもって写経していたグループもあり、彼らが残したと考えられている「死海写本」は世界最古の聖書写本だとされています。グループの中で、聖書全部を暗記している人々がいて、口頭筆記されたという図を想像します。


2013年12月17日火曜日

シロアムの池について

こんばんは、エパタです。

ダビデの町には、考古学的に歴史学的に面白そうな題材がいろいろあります。しかし、アマチュアの思いつきの範囲内で、つれづれなるままに、シロアムの池について、最近興味深いと感じることを書いていきたいと思います。

結論から手っ取り早く言って、つい最近まで新約聖書のヨハネの福音書9章に書かれているシロアムの池は、抽象的存在と考えられていたそうです。それが、2004年秋、下水工事で地面を掘っていた時に、「階段」の一部を発見したことがきっかけで、さらに大規模な発掘調査が始まり、紀元前1世紀のシロアムの池が復元しつつあるそうです。

ダビデの町の位置については、こちら

ペイントで地図まで書いてしまいました。ちょうど地図中に緑で囲んだ部分が、実際緑の木々で覆われた地域なのですが、まさにこの部分にシロアムの池が発見されたのでした。土地の所有権の問題があり、発掘調査ははかどらないそうです。

地図には書けませんでしたが、イエス様は盲目の男と神殿付近で出会い、シロアムの池に行って目を洗うように命じますが、神殿からシロアムの池に直通する道まで発見したのだそうです。(現在は地下だそうです)

水道工事をしていた人が考古学者たちに通知して、調べた時のことがロサンゼルスタイムズに載っています。「階段を見た時にシロアムの池だと思った」そうです。

興味深いと感じたことの一つは、発見されたのが極々最近であったということ。まだまだ面白いことが土の中に埋まっていそうです。

私は高い所とか、地下とか、狭い所などがあまり好きではないので、ヒゼキヤの水道など、ビデオなどで見るだけで十分ですが.....。今は便利な時代で、インターネットのおかげで、古いものから最近のものまでPDFファイルでいろいろな発見についての論文を読むことができます。

ダビデの町は、現在は城壁の外にありますが、エルサレムの中でダビデが一番初めに取った場所であり、当時はこの周りに城壁を造って周辺地域を取っていきました。
 

2013年12月15日日曜日

ゲゼルについて

こんばんは、エパタです。

聖書を読んでいる時に興味深いと感じたことをつれづれと書いています。

聖書の中に出てくる固有名詞で、今のイスラエルの地図にも同じ名前がテル(丘)として載っているのを見つけたりします。世界遺産になったメギド・ハツォル・ベエルシェバもそれらに入ると思います。

ゲゼルもそれらのテルの一つです。ウィキペディアによると、海岸平野地帯とユダの丘陵地帯の境に位置し、軍事的にも見張り所として重要な場所であったそうです。列王記の記載では、ソロモンがメギドやハツォルなどと共に再建した要害とされています。

私の知り合いのユダヤ人がゲゼルの近くに住んでいるのですが、近代的な居住区と石ばかりが散在する小高い丘の遺跡がすぐそばに隣在することに、とても強烈な印象を受けました。写真で見ただけですが。

 wikipedia より

今回興味深いと感じたことは、メギドやハツォルなど大きなテルにも地下水利施設があったそうですが、ゲゼルはグーグルマップなどで見ると、とても小さなテルのように見えるのですが、英語版ウィキを読むと、やはり水利施設がありました。戦時の要害で、水がいかに重要であったかを感じます。

要害に水.... というキーワードで、またダビデの町に帰ってくるのですが、それはまた次回に。

2013年7月28日日曜日

コレ、いい~(追記の追記)

こんばんは、エパタです。

前回、前々回に書かせていただいた聖書朗読アプリのレビューの続きです。

まず、日本語アプリはその後も探しましたが、他にないので、今のところ一番気に入っているのは、「日本語聖書」。これには難点もあって、音声を自動的につぎ合わせたようで、音読みの仕方が間違っていたりします。

たとえば、「主」は神様のことで「しゅ」と読むところ、「おも」と読んでいたり。「万軍の主」が「よろずぐんのしゅ」であったりで、多少違和感は感じますが、機械的な音のほうが、私的には、長時間聞いているためには聞きやすいと思いました。

そして、英語です。

まず、新約聖書の朗読はよりどり緑なのですが、旧約の朗読は非常に少ない。(無料の場合です)
前々回にご紹介した「SpokenWord Audio Bible」なのですが、日本語で「主」の箇所がすべて「ヤーウェ」となっていて、最初は気にならなかったのが、だんだん耳につくようになり、他のアプリを探しました。

そこで見つけたのが「Bible Is」のアプリでした。これは「主」のところが「Lord」で良いなぁと思って聞いていたのですが、時々聞き取りにくいのです。なんと動詞が旧式で「~th」がついていたのでした。それでまた他のアプリを探しました。

それで見つけたのは、「日本語聖書」の英語バージョンで、「英語聖經」というもの。中国製(?)かで、使い方が中国語(?)らしいのでその点は使いにくいかもしれないのですが、聞こえてくる英語自体は今までで一番気に入ったアプリです。

長々と書いてしまいましたが、おススメで~す。

2013年7月26日金曜日

コレ、いい〜 (追記)


こんばんは、エパタです。

日本語の聖書朗読アプリも見つけました!

日本語は「日本語聖書」で検索すると、見つかります。
ポルトガル語の聖書朗読アプリは今のところ知りません。見つけたら、教えてください!

ついでに!
なんとヘブライ語の新約聖書朗読を見つけてしまいました。ツボにはまり中。
Bibile Is というシリーズの中にいろいろな言語の朗読があり、ヘブライ語もありました。旧約の朗読は残念ながらありませんでした。イエス様が話された言葉がアラム語で、ヘブライ語はアラム語と非常に似ていたそうなので、ほぼイエス様が言った言葉で聞けます。

Good day 〜💝

コレ、いい〜


こんにちは、エパタです。

私は日課で聖書を毎日少しずつ読んでいます。

大変な時期もありましたが、このごろだいぶ慣れてきました。

慣れると、怠け心が...。

読むと目が疲れるので、聞くことにしました(^^)。

アプリを探しましたが、日本語もポルトガル語もありません。(知っている方教えてください)

とりあえず、英語で。ヒアリングの訓練にもなります。

2013年4月3日水曜日

またまた発見した事

こんにちは、エパタです。

このごろ近所の子供たちに勉強させられない状況(バケーションなど)で、彼らの祝福のために祈ると共に、自分自身が勉強することにしました(^^)

ずいぶん以前から考えていたシオンの丘周辺地域について、最近学びが開かれてとても感動したことを書きました。またこのごろ、他の事で発見がありました。

最近ではないのですが、地図を見ていたら、ゴグ、マゴグという文字が浮かび上がってきました。最近それが急に気になってきて、どこで見たのか、自分の持っている世界地図の中で最近探したのですが、それらしきものは見つかりません。教会ではメシェクがモスクワで、ロシュ(ロシア)の連合軍の一部で終末の時代にイスラエルを攻撃する国々と習っていました(エゼキエル書38章より)。その話を聞いた時は、知識として受け取ってはいましたが、そうかなと半信半疑でしたが、このごろイスラエルの方々とインターネットで接する機会が増えてきて、現実的な意味を持ち始めてきたのです。

ゴグ、マゴグをインターネットの検索にかけて、いろいろ見ている中で、イスラエルを攻める連合軍の一部であるトバルの一族がイベリア半島に渡ってきて、スペインを築いたと書かれている文章を見つけました。

(そういえばタルシシュの船が出てきたような、タルシシュはスペインだという説明を聞いたような気もしてきました)

ということは、終末の時代にイスラエルを攻める軍勢の中に、イベリア半島から出た世界中に散っている民族も加わるのではないかと思ったりもしたのです。イスラエルから遠く離れてはいますが、その一部である中南米へイエス様の福音宣教のために派遣されている私は、目には見えないけれども、自分で意識していなかったけれども、最高の知恵をお持ちで、緻密綿密な計画をお持ちのイエス様の最善の戦略の中で戦っているのではと、またまた感動したのでした。もちろん、まだ勉強中です。

しかし、ともあれ、自然な形で勉強意欲を与えてくださっているイエス様にすべての栄光をお返しします。

2013年2月18日月曜日

イエス様が教えてくださっている事

こんばんは、エパタです。

先日は「シオン」についてイエス様が私に直接教えてくださった事柄を書きました。また最近、ずーっと以前から疑問に思っていた事について、イエス様が少しずつ教えてきてくださっているのです。

それは、アラム語についてです。

疑問のきっかけは、10年ぐらい前に「パッション」という映画を観たときに、イエス様がアラム語で話ていたことに発します。私はそれまではイエス様はヘブライ語を話していたのだと思っていました。イエス様が話すアラム語がとてもエキゾチックで新鮮な印象を持っていました。一方、イエス様を捕らえて十字架刑に処するローマの兵士たちはラテン語(?)を話しており、それが同じラテン語系列のポルトガル語とそっくりで、イエス様を迫害する立場に立つ者として、どーんと落ち込んだものでした。周りで観ていたブラジル人たちも同じような思いをいただいていたのか、みんな一様に首をうなだれて映画館を出たものでした。

それから聖書を読んでいるごとに、「アラム語で」と書かれた箇所が不思議にひっかかるのです。何を言っているのですか、教えてくださいと祈っていました。

それが最近、アラム語を話していたのは、イスラエルを攻めてきていたアッシリア軍の兵士たちが話していた言葉だったことに気がつきました。ウィキで調べたところ、イスラエルの民が捕囚でて引かれていった後、アラム語は中東一帯の国際共通語として、商業・外交で使われるほどにその地域に広まったそうです。

イエス様はいわば敵国の言葉であるアラム語を習得しておられ、宣教の働きのために積極的に使っていたのでした。当時のユダヤ地方では数か国語話せる人は少なくなかったのです。相手が何語を話すかによって言葉を変えていたのです。イエス様はエルサレムに上ったときに、宗教家の方々と議論したと言われていますから、ヘブライ語ももちろん話せたのでしょう。しかし、民衆に対しては彼らの日常語であるアラム語で話しかけていたのだと思われます。

私がこのブログで使っている「エパタ」という名前も、「開け」という意味ですが、新約聖書で出てくる言葉の中で、ヘブライ語かアラム語かと言われている言葉の一つだそうです。時に応じて、聞いている人々がより理解しやすく、心を合わせやすい言葉を、イエス様が使っていたことがわかりました。

このアラム語ですが、イエス様が使ったアラム語は今は絶滅の危機で、シリアのダマスコの近郊の町々他3か所だけで用いられているのみだそうです。そのうちの1つはキリスト教徒の町だそうです。イスラム教ばかりだと思っていたシリアにもキリスト教徒がいたのです。今紛争が起こっているホムスという町もキリスト教徒が多い町で、彼らは迫害されていると言われています。

さらにイエス様に尋ねていきたいと思います。

PS
ちなみにここ、アラサトゥーバではまだ「レ・ミゼラブル」は始まっていません....。

2013年1月10日木曜日

ダビデの町シオン

こんにちは、エパタです。

先日は聖書を読んでいたら、大発見!(もうご存知の方はお許しくださいませ)があったので、書きたいと思います。

日曜日の礼拝のメッセージで悔い改めの重要性が語られていて、その前にシオンとエルサレムの位置関係が説明されていました。そのメッセージを聞いて、神様の言葉に対しての熱心さが欠けていたと気づかされ、悔い改めが導かれました。

その翌日、聖書を読んでいたのですが、そこにシオンとエルサレムが両方出てくる節があったのです。
「そのとき、ソロモンはイスラエルの長老たい、およびイスラエル人の部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上るためであった」(1列王記8:1)

シオンとは、ダビデの町だとわかったのです。インターネットで検索してみると、あの地域でダビデが最初に占領したエブス人の要害があった場所がシオンの丘で、そこを中心にダビデの町がつくられていった、その後神殿などがつくられ、エルサレムの町へ発展していったということがわかりました。

私はその前にはシオンとエルサレムはイコールくらいの関係で、シオンは今イスラエルがある地域全体を大きく指すぐらいに思っていました。

しかし、ずいぶん以前から私自身の心の中に、ダビデの町の近辺の地図に非常が関心が高まり、シロアムの池やヒゼキヤの地下水道など少しずつ調べてはいました。特に2005年に下水工事をきっかけに、ネヘミヤ記などに書かれているダビデの階段が発見されたという記事を読んで、いつかその階段を見に行ってみたいと思ったりなどしたものでした。

あの小さな地域がシオンだったのです。感動しました。そして、もっと聖書を読みたいという思いが与えられました。教えてくださったイエス様にすべてのご栄光をお返しします。