2013年10月30日水曜日

体験談シリーズ・リオデジャネイロへの移動


19981月末、日本からの宣教チームとともに、初めてリオデジャネイロに行った帰り道、すさまじく道に迷ったが、車中で牧師が「これからリオへ出ます」とおっしゃった。その後、サンパウロで今までに見たことのない虹を見た。まさに、「雲の間にある虹」、大きな灰色の雲に鮮やかな虹がかかり、その虹の前を小さな濃い灰色の黒っぽい雲が通りすぎていく。ビデオを撮りたいと思った。
 
その夜、聖書を読んでいると、イザヤ書6章を通して「誰が行くだろう」という言葉が心に響いた。リオデジャネイロに行くという意味か? と思いを巡らしていると、いったい誰が行くのだろうという思いになり、あれ、ということは私しか、いない? ことがわかった。
 
それ以来、新聞を読むようにしたが、半分近くの記事が殺人などの凶悪犯罪で、恐れが来た。
 
ある日、パスターミナルに行って、すぐ帰ってくるという旅をすることを決心した。
 
腹巻にパスポートとお金を入れ、よれよれのTシャツにビーチサンダルといういでたち、スーパーの袋に聖書と教会から出されている月刊誌「雲の間にある虹」を入れて、3月、バスで出発した。
 
月刊誌をリオのバスターミナルのキオスクに置かせてもらって、すぐに帰ってきた。バスはすいていて、おまわりさんが私のところに来て、私のすぐそばにピタッと張ってくださった。
 
二回目はリオで長期滞在できる場所を探した。
 
誰も知り合いがいないので、最初はホテルを目指した。広告で一番安かった60レアルのAホテルを目指してリオのバスターミナルで乗り換えたが、降り損ねたらしく迷い、どこを走っているのかわからなくなった。
 
迷ったことを感謝していると、前方の座席にアジア系らしい男性がいた。助けを求めると、その人Uさんは日系人で、日本語がわかり、しかも旅行社の人だった。
 
事務所に連れていっていただき、ちがうBホテルを紹介してもらった。さらに格の良いホテルを旅行社割引で45レアルで泊まることができた。朝食もビュッフェで最高、眺めも良く、電話も明細がしっかり出てきた。この旅行社で、後に永住権取得の時に助けてくださったMさんと出会った。
 
後日新聞を見ていたら、このAホテルの前で殺人事件が起きていた。主の守り、導きは完全。主をあがめます。

それから何度も、サンパウロとリオデジャネイロを行き来するようになった。ある時は、突然バスの中に高速警察のおまわりさんが乗ってきて、乗客の身分証明書とバックの中身を調べ始めた。私は恐れた。私のビザはすでに切れていたからだった。まわりさんは私とあと一人の乗客をバスから下ろし、バスの下に荷物があるかと聞いた。もう一人の乗客の荷物を調べ、私は持っていたかばん一つだというと、パスポートを調べた。パスポートにはさんであった緑の紙(アメリカのウエイバー)ピラピラさせて、「これがあれば、よし」と言って、にーっと笑った。

後日、ある日、その日はリオに行くことにしていた日だが、行きたくなかった。夢を見て、その中で見た「イヘプリエンシーベル」という言葉が起きてから頭の中に残っていて、デボーションの個所にその言葉がそっくりそのまま出てきた。怠りなくという意味だった。びっくりして、これは行かなくてはと思った。
 
「み声に聞き従う」という本をバスの中で読んでいると、7章に書かれていた聖書の言葉が心に響いた。「手を海の上にさしのばし、海を分けよ」。以前リオの霊の戦いの時に、コルコバードの丘の上で、「海のほうに手を伸ばせ」と主が言っておられるような気がしたので、手を伸ばした記憶がよみがえってきた。

そして私に主は「リオに出ることを通して、ビザが取れて、リオから海外へ出れる」と語ってくださった。

リオに行く途中で停車した休憩所で新聞を買って、間借りが一ヶ月150レアルとあるのを見つけ、訪問してみた。クリスチャンのオーナーだった。彼女の家に住みながら永住権が取得でき、それで海外にも出ることができた。リオからイスラエルへも行った。主をあがめます。

2013年10月29日火曜日

リアルタイムとりなし・その2

こんばんは、エパタです。

目が覚めてきました!

ルフトハンザ組は無事テルアビブに到着いたしました。アメリカからのトルコ航空組と合流し、エルサレムのホテルに向かっている模様です。




オーストリア航空はゲートを13分遅れて出発ずみ(写真右)、テルアビブに5分遅れで到着の予定です(写真下、オーストリア航空ホームページより「発着状況」。
現在テルアビブは0:40なので、あと15分!















PS

最新情報によると、1:03に到着したようです。

リアルタイムとりなし

こんにちは、エパタです。

とても眠いですが....。

主の十字架クリスチャンセンターからイスラエル・ヨーロッパチームが遣わされています。

成田空港を出発したチームは現在、ルフトハンザ組はテルアビブに向かっていて、着陸寸前。













オーストリア組は定刻通り飛行機がゲートに着いたようで、ボーディング中です。(アイフォンのFlightTrackによる情報)











チームの詳しい状況はこちらのブログで確認できます。



さらに私は FlightTheory で着陸の練習中.......。







2013年10月23日水曜日

体験談シリーズ・長期宣教師になる

イエス様を心に受け入れる祈りして、教会に通う中で、イザヤ書43章を通して、宣教師の召しを受けました。しかし、大学生活が楽しく、世の中の楽しみにひっぱられていました。

祈りの中で神様に「このまま行くと、人生の終わりに空しいものを刈り取ることになる」と言われ、ぞっとしました。熱心に祈り求めました。

すると、ある朝読んだ聖書の言葉、「誰も閉じることのできない門をあなたの前に開いておいた」が心に響きました。

その日の夜、徹夜祈祷会に参加した私はいつの間にかうとうと、居眠りしていたようです。遠くかなたで声がしました。「目を覚ましなさい~」と。意識が浮上してき、目を開けると周りの人が笑っていました。「アメリカに遣わす」と言葉が続きました。祈りの中で私のことが話題になっていたようです。

それらの言葉を祈りの中で黙想した結果、神様が語られていると確信しました。教会から19923月半ば初めてアメリカに教会設立を目的とする集会が行われることになり、そのロスチームに途中参加が導かれました。

飛び立つ日は大雪で、飛行機が飛ぶかと思いましたが、無事、日本を脱出しました。行く日の朝、教会の早天祈祷会に参加したところ、私にたくさんの言葉をいただきました。「最終的に行く所は英語圏ではない」具体的には中南米と語られました。

ロサンゼルスでは、チームの方々が空港まで迎えに来てくれました。さらにそのチームで長期宣教師になると語りかけがありました。そして、その後、すでにアメリカ行きが決まっていた他の二人の教会の方々と共に再びロスへ行くことになりました。

帰国した後も祈っていましたが、お金はありませんでした。最初の費用は50万円と聞きました。ある時証しを聞きました。必要金額を受けたと信じ、十分の一を信仰で捧げる、すると10倍が与えられたと。

促しを感じ、所持金を調べるとほぼ5万円ではないか。思い切って捧げると、次々といろいろな人々から献金をいただき、生活も支えられ、預金残高が今までの最高50万円を超え、献金した上、ロサンゼルスへ行くことができました。主をあがめます。

体験談シリーズ・リオデジャネイロで女性の鼻の病気が治った


2007年にリオデジャネイロに日本から宣教チームが来て、癒しの祈りをしていただいた後、みるみる皮膚がきれいになった。 自分でもびっくりしたが、グァララペスの周りに住む人々が「肌がきれいになったねぇ~」と言うようになった。3人の人に同じことを言われた。

その当時、(ホザンジェラさんのお父様が癒されたとは知らず)国際伝道センターの有志と伝道に出た。公園で日本語とポルトガル語で賛美をして、その後教会のパンフレットを配りながらベンチに座っている人々に話しかけていった。

ある女の子がうつろな表情で座っていた。ホザンジェラさんが話しかけた。彼女は自分はスピリティズムを信じていると言った。ホザンジェラさんは神は頭の中だけの存在ではなく、生きていると言った。

彼女は自分の悩みを話し始め、「鼻の病気が見つかり、会社を首にされそうだ。今日も病院に行って検査をしてきた」とレントゲン写真の入った大きな封筒を見せてくれた。

私は自分はひどい皮膚病で小さい時から苦しんできたが、神様が癒してくださり、きれいになったと自分の腕を見せた。その後、ホザンジェラさんが「イエス様を信じますか」と聞くと、彼女は「信じる」と言い、私たちと一緒に受け入れるお祈りをした。

それから皆で彼女の鼻に手を置いて祈った。彼女は感動して、もし治ったら教会に感謝しに行くと言った。後日、ホザンジェラさんから聞いたところによると、彼女の病気は治り、彼女の言葉の通りに教会に感謝しに来たそうだ。主をあがめます。2010/05/16記す


Isso aconteceu no Rio de Janeiro. Eu estava participando uma equipe de evangelizãção da igreja com os irmaõs. Nós fomos ao parque e começamos a cantar hinos. Muitas pessoas estavam no parque e nos ouviam. Depois de acabamos a cantar hinos, começamos a distribuir folhetos e convidamos as pessoas à igreja. Aí vimos uma moça sentada no banco aparentemente abarada com um envelope de exame médico. Uma moça da nossa equipe
falou com ela, passando o folheto. "Jesus te ama. Ele é a solução de todos os problemas."

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Ao receber o folheto, moça que estava no banco falou, "Sou espirita, mas tenho problema. Acharam uma doença no nariz e eu vou ser mandada embora do meu serviço...."
Aí a moça da igreja respondeu Jesus te cura. Vamos aceitar Jesus agora. Oramos para você. Eu também falei,"Tinha doença grave na pele, usava muitos remédios. Jesus me curou e libertou!" Ela orou aceitando Jesus como Salvador e Senhor naquele momento e também oramos
para que ela ser curada o nariz dela, colocando nossas mãos sobre o nariz dela.
Depois de oração, ela falou "Se esta doença for curada, eu vou à igreja para agradecer."

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Depois a moça da igreja falou para mim que ela apareceu na igreja, dizendo "Não detectou a doença no exame! A doença sumiu! Eles não me mandaram embora. Estou continuando no serviço."
Ela falava para ir à igreja agradecer. Foi isso mesmo que aconteceu.
Eu louvo ao Senhor Jesus e dou toda honra e a glória ao Senhor.

体験談シリーズ・グァララペス男児のアレルギーが治った~with English translation


200512月25日クリスマスの夜、教会の礼拝で2歳の男の子が突然泣き出した。礼拝が終わってもまだ泣いていた。母親がおかしいと言い出した。洋服をめくって足などを見ていると、体中に足やお腹などに赤い点々があるのに気づいた。「アレルギーだ。虫にでも刺されたにちがいない」と言った。教会の方がバイクを飛ばして薬を買いに行った。

母が子をベッドに横たえ、「病院に行かせるべきだ」と言うと、かわいそうだなぁ、でもどうしようもないと思った。その時(聖霊だと思うが)こういう時こそ、祈るべきじゃないかという思いが来た。教会の礼拝で「人の癒しのために祈る時には心を集中させて、その人が治るように心を込めて祈る」と語られていたので、それを思い出して、異言で祈りつつ、額に手を置いた。男の子は真っ赤になって泣いていた。額が熱かった。

しかし祈り始めて数分で熱が引いていくのがわかった。彼は泣きやんだ。母親が体を調べると、赤い点々は消えていた。びっくりしていた。彼はにこにこして、もう一人の男の子と走り回って遊びだした。バイクで薬を買ってきた教会の方も「どうして治ったんだ?」と言っていた。主が癒されました。主をあがめます。2010/03/28記す


Era uma noite de vespera do Natal.
Eu estava assistindo o culto da igreja em Guararapes.
Un menino começou a chorar e a mãe dele o levou fora da igreja.

Mesmo depois que acabou o culto, ele continuava chorando.
Todos estava estranhando porque ele chorava.
A mãe dele viu os pontinhos vermelhos na perna,
barriga e no pescoço dele.
Ela falou, É que os bichos picou nele. e a alergia.
Um dos membros da igreja correu para comprar remédio.

A mãe deitou o menino na cama.
Ela falou, Tem que levar ao hospital.
O marido dela estava preso.
Eu pensei, Que coitado. Nao tem como fazer...
Mas, logo eu pensei assim também,
Exatamente nesse momento, não é a hora que eu preciso orar por ele?
Acho que foi o espirito santo que me falou.
E eu coloquei a mão sobre a testa dele e começou a orar concentrando a minha mente
para ele ser curado nesse momento.

Eu senti que o menino estava com fevre alta, porque a testa dele estava quente.
Quando eu orava com a língua, o menino parou de chorar.
Depois de oração, eu senti que a fevre sumiu e abri os meus olhos.
O menino estava calmo.
A mae do menino viu o corpo dele
e achou que os pontinhos vermelhos sobre o corpo dele inteiro também sumiram!!

Glória a Deus!!

O menino se levantou da cama e começou a brincar com outros meninos rindo.
O membro que saiu para comprar um remedio,
voltou e estranhou. Foi o Senhor que o curou.
O Senhor Jesus é que vive agora e cura.


It was a night of Christmas eve.
I was participating at the church service in Guararapes.
A boy began to cry and his mother took him outside the church.

Even after the service ended, he kept crying.
Everyone was wondering why he was crying.
His mother saw the red dots in his leg,
belly and his neck.
She said, it was because the bugs stung him and allergy.
One of the church members went to buy medicine for him.

His mother laid the boy on the bed.
She said, I have to take him to the hospital...
Her husband had been arrested.
I thought, "What a pity, but I can't do anything for him ..."
But soon I thought like this too,
"Just then, is it not the time that I need to pray for him?"
I think it was the holy spirit who told me.
And I put my hand on his forehead and I began to pray concentrating my mind
for him to be healed at that time.

I felt that the boy had a high fever because his forehead was very hot.
When I prayed with tongues, the boy stopped crying.
After the prayer, I felt the fever had gone and I opened my eyes.
The boy was calm.
The boy's mother checked out his body
and she found that the red dots on whole his body had gone !!


Glory to God !!

The boy got up from bed and he began to play with other boys laughing.
The member who went out to buy a medicine came back and surprised.
The Lord Jesus healed him.
He is now alive and heals.

2013年10月22日火曜日

体験談シリーズ・指先のタコが取れた!


ある時、私は右手の中指の先に白い角質ができているのに気がついた。直径1センチほどの大きなものであった。その指の爪も変形しており、他の指の3分の2くらいしかなかった。ペンだこがそんなところにできるはずはないし、やけどでもしたかなと思ったが、そのままにしていた。

それから23年経って、祈ってみようと思い立った。タコのできている部分を左手で覆いながら、癒されますようにと毎日祈った。

一週間ほど経った12月末、私は家の大掃除をしていた。トイレの手洗いのシンクを洗っていた時、その指をシンクの側面に強く打ちつけてしまった。いつもは爪があるはずが、直前に爪を短く切っていたために、そのタコを直撃してしまった。かなりの痛みを感じたが、すぐに癒しの祈りをした。

タコの部分が内出血していて、黒くなってきた。毎日癒しのために祈った。さらに一週間ほど経った時、黒ずんでいたタコの間から新しい皮膚が出てきていたのに気がついた。どんどんその新しい皮膚の部分が大きくなり、黒ずんでいた皮膚が剥がれだした。ついにポロッと落ちた。跡形もなく。さらに爪も伸びてきて、他の指と同じ大きさになった。主をあがめます。2011/01/15記す。

Um dia eu percebi tinha uma pele branca queratinizada na ponta do dedo médio da mina mão direita que media mais ou menos 1x0.7cm. Eu lembrei que era 2 ou 3 anos atrás(pensava que era queimadura sem saber, mas talvez poderia ser uma marca de caneta ou de teclado). A unha também reduziu cerca de dois terços de qualquer outra unha. No final de dezembro, eu bati na borda da pia essa ponta do dedo forte enquanto limpava o banheiro. Isso aconteceu porque eu cortei de mais minhas unhas do que o habitual e a parte que bati ficou preto por causa do sangramento interior daquela pele branca queratinizada. Eu comecei a agradecer ao Senhor Jesus por isso. Mas, dóia muito, orei para ser curada. A dor continuou cerca de uma semana, orava para cura todos os dias. Aí, foi na semana retrasada, no meio dessa pele que ficou preto, o nova pele apareceu! E a pele antiga caiu. Um dia caiu a parte direita e outro dia caiu outra metade também. Ele curou a ponta do meu dedo e caiu a pele branca que tinha faz tempo. Glória ao Senhor Jesus.

体験談シリーズ・心臓発作の危機からの回復


2007年9月、日本から宣教チームを迎えました。飛行機が大幅に遅れ、税関を出るのに手間取り、チームの一人が結婚指輪を失くしたことに気づいて、取りに走り、サンパウロを出ようとしたら、ぐるぐる迷いながら、時間が経ち、予定がリオデジャネイロだけになりました。

車の中で、私の携帯電話が鳴りました。リオの集会場所を貸してくださる教会の事務局の方、ホザンジェラさんからでした。お父様(86歳でした)が心臓発作でその一週間前に倒れ、集中治療室へ入院されたとのことでした。連絡を聞いた時、私は思いました。なんてことになったんだろう。このタイミングで果たして集会はできるのだろうか。

私は彼女の口から病名を聞いた時、その前にグァララペスの日系人が同じ病名でお父様を亡くされたのを思い出し、最悪の状況を思い描きました。しかし感謝をしていました。

チームの方々とともに、祈祷会をしていると、祈りの中で預言があり「病人のことを聞いたら、病院に行ってでも祈りなさい」ということでした。気になり、ホザンジェラさんのことを牧師に言ってみました。すると病院に行くことになりました。

二人牧師が部屋に入り、私は通訳として入れてもらいました。部屋に入ると、ホザンジェラさんのお父様と見られる男性がぐったりと横たわっており、壁に設置されたテレビ画面の心電図が力なく波打っており、これは危険なのではと思いました。牧師二人が手を置いて祈り、私は心を合わせました。

集会は祝福され、チームは日本に帰国しました。私はいつ亡くなりましたという知らせを聞くかとびくびくしていました。しかしある時、半年以上経って、思い切って聞いてみました。

「お父様はいかがですか?」
「あれは神様です。跡形もなく、一週間もしないうちに退院した。神の癒しです」
「え~~っ?」

家を訪問すると、ぐったり横たわっていた人が、元気になって、食べたり、話をしたり、歩いたりしていました。あまりに信じられず、彼が話をしたりするたびごとに私は「主に栄光!」と言いました。いま90歳です。主をあがめます。2010/04/11記す

2013年10月16日水曜日

リオデジャネイロ旅情報③



マラカナン・サッカースタジアムで夜の試合を見てから地下鉄で帰ってきても、カテッチ駅から人通りの多い繁華街を通るのでより安全な地域にあるヴィトーリア・ホテル。少し見にくいですが右側のライトが灯るあたりに看板が。値段は90レアル(5千円くらい。値上げがなければ)。リオデジャネイロは観光地なので、どこも高いです。ビーチは最低でもこの二倍以上。ラップトップを預けて無事帰ってきました。オーナーさんがいい人で、早朝着いてもチェックインさせてくれるし、しかも「朝食、食べな」と言ってくれる!(^^)

難点はホテルにWi-Fiがないこと。その点は、短期滞在の場合は成田空港でレンタルするか、少し出費できるなら秋葉原のラオックスでSIMロックフリーのアイフォンを買って、ブラジルでSIMカードだけ買っていれると使えます。その場合、誰かブラジル人の友達がいてCPF番号を貸してくれる必要がありますが。注:TIM社の場合、ボックスで買うSIMカードではなくて、看板を出している代理店に行けば、Internacional visitors で旅行者でもパスポートでOKなようです。

聞くところによると、日本人のサッカー選手が修行で来てて、このホテルに長期滞在していたそうな。名前とポジションも教えてくれて、「いまどうしてるかな~、かなりうまかったぞ」と言われたが、う~ん、わからない....。温かい人々に囲まれて、彼も楽しいブラジル生活だったでしょう!



2013年10月15日火曜日

リオデジャネイロ旅情報②



リオデジャネイロ市とニテロイ市をグァラナバラ湾経由で結ぶフェリー。市民の通勤の足として使われています。値段は確か200円くらいでした。サントス・ズモン空港に着陸寸前の飛行機が迫ってきたり、安く安全にリオデジャネイロの景観を楽しめます。

乗り場はリオデジャネイロ市側はプラッサ・キンズィ(ⅩⅤと記されることもある15の意味)。かなりわかりにくい。この近辺はバスしかアクセスがないので、やや中級者向けかも。

 


 
ニテロイ市側はわかりやすい。
 
 
 

リオデジャネイロ旅情報①

こんにちは、エパタです。

以前に書きましたリオデジャネイロの思い出の続きを書きます。これは私が他のブログに書いたものと同じ内容です。



眺めやビーチへアクセスを考えるとコパカバーナがいいですが、ホテルの値段が…。夜10時以降でも人通りが多いカテッチ通り(Rua do Catete)の辺りにも安めの宿がけっこうあります。繁華街の中に地下鉄駅があるので、夜遅く戻っても安全です。(写真はコルコバードの丘へ行くラランジェイラス通りとカテッチ通りの交差点にあるマクドナルド)

2013年10月7日月曜日

イタリアからのアクセスがありました

こんにちは、エパタです。
 
初めてイタリアからのアクセスがありました。イタリアからのご訪問ありがとうございます。(^O^)

エルサレムの平和のために祈る集会

こんばんは、エパタです。

東京で開催された「エルサレムの平和のために祈る集会」に、ブラジルから中継しました。以前投稿したメシアニックジューのイェフダさんと奥様のサラさんもユダヤ人の服装で参加してくださいました。イェフダさんは、日本でこのようなイベントが持たれていることに感動しておられました。
ご協力を心から感謝いたします。


Para "reunir para orar pela paz de Jerusalém" em Tóquio, fizemos transmissão ao vivo do Brasil. O senhor Yehuda que é um judeus messiânico e a esposa dele Sara também participaram com vestuário tradicional judaico. O senhor Yehuda expressou impressionado que tal evento foi realizado no Japão.
Agradeço a colaboração.

2013年9月10日火曜日

牛乳2パック

こんばんは、エパタです。

夕方頃私はスーパーに買い物に行きました。

すばやく買い物をし....たつもりでしたが、家に帰ってくると、買ったはずの牛乳2パックがない! レシートを調べると、レジを通過しているので、レジのところに置いてきてしまったらしいのです。

いつもは袋に詰めてくれる店員さんもいるので、忘れたらわかると思いますが、その時は急にレジの人が「水が飲みたい」と言って、袋詰めの青年が水を取りに行ったので、いなかったのでした。

私はばかだなーと思いながらも、自分を責めても悔やんでも仕方がないので、聖書に書いてある通り、感謝することにしました。

すると、2パックで6レアルする牛乳(350円くらい)、ちょっと痛いが、レジの人にあげたと思えばいいじゃないかと思えてきました。

すると、スーパーに電話してみようという元気が出てきました。袋に書いてある電話番号に電話してみました。

すると、夜遅くにもかかわらず、受付の人が出てくれました。「レシートにはあるが、家に帰ってきたら牛乳2パックがない。レジに忘れたと思う」と言うと、その部署へ電話を回してくれました。何度も何度も呼び鈴がなるが、誰も出ない、同じ人が2回、3回と出る。無理かなとあきらめかけたが、粘っていると、やっと違う人が出ました。先ほどと同じことを言うと、少し時間があり、「あー、牛乳2パックね、とってあるよ、取りに来な」と二つ返事。

神様に心から感謝しました。それから、ブラジルも盗人がいなくなっているなーと、再び感心しました。
 

2013年8月30日金曜日

健康診断に行ってきました

おはようございます、エパタです。

今年の分の健康診断がまだだったので、このままだらーりしていると、今年がもう終わってしまうと思っていました。すると、家の大家さんが「町の体操に行く」と言うので、どういうことをやるのか聞いてみると、ボランティアでお医者さんが来て、血圧や血糖値などを計ったり、健康のためのオリエンテーションセミナーをしてくれるとな。そこで、今日行ってきました。

血圧も血糖値も正常でした。

その後、お医者さんのセミナーがあり、病気を予防するために必要なことのセミナーを聞きました。医療用語の難しいポルトガル語を久しぶりに聞く、良いチャンスとなりました。

2013年8月22日木曜日

パンフレットを持って行きました

こんばんは、エパタです。

いつもお世話になっている日系の定食屋さんに、先日作成した「日本の児童養護施設設立のための寄付のお願い」のパンフレットを10部持って行きました。

久しぶりだねぇ~と言われてしまいました。

そして、以前も投稿した伝道所カフェに行きました。少しナマッていたポルトガル語も少しブラッシュ・アップされたか? どうかはわかりませんが、いろいろ話を聞いていただいて、解放された感じです。

昨日の夜、真夜中に目が覚めてしまい、ずっとお祈りをしていたら、ヘブライ語の歌の歌詞ができました。第二歴代誌20:22から取りました。意味は「私たちが歌う時、何かが始まる。私たちが喜ぶ時、主の奇跡が起こる。喜びの声を上げよ。主に賛美の声を上げよ」です。

変なヘブライ語かもしれません。^^
どちらにしても、主にご栄光を返します!!

間違いをどなたか直してくださいますように。そして、締切に間に合って曲が与えられますように....。

PS
語学添削サイト(http://www.lang-8.com)の友達が添削してくださいました! そして素晴らしいアイディアだと思いますが、ひらがなで読み方を教えてくれました。感謝します!!

 


2013年8月16日金曜日

クリスチャンになった時の体験談を話しました!

*写真を追加しました。

こんにちは、エパタです。

朝、私が住んでいる家の大家さんが電話をくださり、お昼ご飯に誘ってくださいました。

その帰り道、彼女が「あなたはどうやって今の教会に行くようになったの?」と質問してくださいました。そこで、高校生の時の悩みから始めて、東京で下宿生活をしている時に今の主の十字架クリスチャンセンターの方からイエス・キリストの話を聞き、夜明け頃十字架による罪の赦しを受け入れて、悔い改めの祈りをしてイエス・キリストを信じる祈りをしたことを話すことができました。と~ても緊張しました。

また、私はどうしてか、彼女は日本語を読むのが好きでないという思い込みがあって、教会の出版物を渡さなかったのですが、彼女が「日本語の本を読むのが好き」と言うので、家にあった「み声新聞」を贈呈させていただきました。

このような機会を与えてくださった主イエス様にご栄光をお返しします!

2013年8月12日月曜日

シオンの丘とダビデの町について(訂正)

こんにちは、エパタです。

先日はシオンの丘とダビデの町が同じだったという趣旨でブログを書いてしまいましたが、後日地図を見ていたら、ちょっとずれていることがわかりました。

私は地図を見ているのが大好きなのですが、イスラエルの地図はどれだけ見ていても飽きません。

先日ブログの中で紹介した聖書に出てくる「ダビデの階段」(ネヘミヤ記など)と思われる遺跡や「シロアムの池」と思われる遺跡は、緑色で囲った「ダビデの町」の中にあります。いわゆる東エルサレムに位置し、現在の名前はシルワンというアラブ人地域です。

最後の晩餐の間がある教会などの歴史的建造物があるシオンの丘は、オレンジ色で囲った地域です。聖書でいう「シオン」と現在使われている地名が同じかどうかはわかりませんが、一応近いが同一ではなかったことがわかりましたので、ご報告します。

ついでにわかったのは、エルサレムの管理についての線が白い点線で、シオンの丘は問題なく左側のイスラエルの管理下にありますが、その右側にあるダビデの町は考古学的に重要な地域で、イスラエルとアラブとが管理の権利を主張し合っている地域だそうです。

2013年7月31日水曜日

ツィッターを追加しました

こんにちは、エパタです。

プロフィールに私の個人的ツィッターを追加しました。また後で復習できるように、メモを書いておきたいと思います。

メモ
画像を張り付けて、ツィッターをリンクするには。

<a href="(ここにリンクするアドレスを入れる)"><img src="(ここに画像のアドレスを入れる)" alt="(ここに画像の説明を入れる)" width="50" height="50"></a>

別ウィンドウで開く場合は、リンクするアドレスの後ろに以下を入れる。
target="_blank"

画像に枠を付ける(シンプル、3ピクセル、白)場合は、サイズの後ろに枠の種類、サイズと色を入れる。
style="border:solid 3px #FFFFFF"

2013年7月29日月曜日

できた!

またまた、こんにちは、エパタです。
できないと思ったら、Google Chrome ではできていました。

(メモ)
ちなみに、ファビコンとはアドレスの横などに現れる小さな正方形のアイコンのことです。以下は自分のためのメモです。

ファビコンを追加する場合、「ヘッダー要素」つまり、<head></head> の中に、「リンク要素」<link></link> として追加します。そのタグの中に、rel="icon" を入れて、href="" を使ってリンク先を、type="" で画像のタイプを指定します。私は .png 画像を使ったので、type="image/png" となりました。

PS
後日見たらIEでも見れました。


ついでにバナーまで作ってしまいました。


ファビコン?

 
こんにちは、エパタです。

ブログのファビコンを追加しようとしているのですが、できません(汗)。

格闘中です。

2013年7月28日日曜日

コレ、いい~(追記の追記)

こんばんは、エパタです。

前回、前々回に書かせていただいた聖書朗読アプリのレビューの続きです。

まず、日本語アプリはその後も探しましたが、他にないので、今のところ一番気に入っているのは、「日本語聖書」。これには難点もあって、音声を自動的につぎ合わせたようで、音読みの仕方が間違っていたりします。

たとえば、「主」は神様のことで「しゅ」と読むところ、「おも」と読んでいたり。「万軍の主」が「よろずぐんのしゅ」であったりで、多少違和感は感じますが、機械的な音のほうが、私的には、長時間聞いているためには聞きやすいと思いました。

そして、英語です。

まず、新約聖書の朗読はよりどり緑なのですが、旧約の朗読は非常に少ない。(無料の場合です)
前々回にご紹介した「SpokenWord Audio Bible」なのですが、日本語で「主」の箇所がすべて「ヤーウェ」となっていて、最初は気にならなかったのが、だんだん耳につくようになり、他のアプリを探しました。

そこで見つけたのが「Bible Is」のアプリでした。これは「主」のところが「Lord」で良いなぁと思って聞いていたのですが、時々聞き取りにくいのです。なんと動詞が旧式で「~th」がついていたのでした。それでまた他のアプリを探しました。

それで見つけたのは、「日本語聖書」の英語バージョンで、「英語聖經」というもの。中国製(?)かで、使い方が中国語(?)らしいのでその点は使いにくいかもしれないのですが、聞こえてくる英語自体は今までで一番気に入ったアプリです。

長々と書いてしまいましたが、おススメで~す。

2013年7月26日金曜日

コレ、いい〜 (追記)


こんばんは、エパタです。

日本語の聖書朗読アプリも見つけました!

日本語は「日本語聖書」で検索すると、見つかります。
ポルトガル語の聖書朗読アプリは今のところ知りません。見つけたら、教えてください!

ついでに!
なんとヘブライ語の新約聖書朗読を見つけてしまいました。ツボにはまり中。
Bibile Is というシリーズの中にいろいろな言語の朗読があり、ヘブライ語もありました。旧約の朗読は残念ながらありませんでした。イエス様が話された言葉がアラム語で、ヘブライ語はアラム語と非常に似ていたそうなので、ほぼイエス様が言った言葉で聞けます。

Good day 〜💝

コレ、いい〜


こんにちは、エパタです。

私は日課で聖書を毎日少しずつ読んでいます。

大変な時期もありましたが、このごろだいぶ慣れてきました。

慣れると、怠け心が...。

読むと目が疲れるので、聞くことにしました(^^)。

アプリを探しましたが、日本語もポルトガル語もありません。(知っている方教えてください)

とりあえず、英語で。ヒアリングの訓練にもなります。

2013年7月23日火曜日

「雲の間にある虹8月号」が届きました

こんばんは、エパタです。
私が原稿を書かせていただいた「雲の間にある虹8月号」が届きました。出版社の皆様ありがとうございます。
また、原稿を書くために題材にさせていただいたアルファさんに、メールにてポルトガル語訳をお送りしました。ご協力を感謝いたします。見本も贈呈として郵送させていただきました。

2013年7月22日月曜日

癒しのために祈ってきました

こんばんは、エパタです。

近所に住む日系人のOさんの家の前を通ったときに、ちょうどOさんが家の前におられました。そして、娘さんのために癒されるよう、お祈りをしてくることができました。
主がOさんに触れ続けてくださいますように。

2013年7月16日火曜日

偵察

こんばんは、エパタです。

以前アラサトゥーバ市の地図を見ながら、主の導きのある場所へ行く(「足で踏む所は与える」とのヨシュア記の御言葉から)ことをやっていたのですが、しばらく止まっていました。この頃またそれをやるように主が導いておられることを感じました。



以前地図で見て行ってきた通りを最近通る機会があったので、ちらっと見たら、日系のオーナーのインターネットカフェがなくなっていて、他の建物になっていました。そのネットカフェには、英語版のミッション誌を渡して、「宣教師です」と言ったら、とても良い当たりだったので、残念です。

今回は、その建物の近辺から再スタートすることにしました。御言葉は「足で踏む」なので、行くこと自体が目的ですが、み声新聞と英語版のミッション誌を持って、自転車で出かけました。

その建物はよーっく見ると、子供のパーティー用貸会場になってカラフルに塗られていました。

その通りの一本奥まった通りに入って、自転車でしばらく徘徊していると、大きなスーパーがありました。スーパーを見学するのは、私の趣味でもあるので、駐車場にとめて、中に入りました。荷物預り所のところに日系人の中年の男性がいたので、「すいません」と声をかけると「はい」と日本語で返事が返ってきました。そこでさっそく持ってきたみ声新聞を差し上げました。「私は宣教師です」と言って、英語版のミッション誌も差し上げました。さらに「イエス・キリストは私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださいました。このことを信じますか」と言うと、「はい、信じます」と言っておられました。この方に主が働きかけ続けてくださいますように。

スーパーの感じは、私はいつも行っているスーパーと比べて、ずいぶん高めでした。このスーパーを利用している人々はかなり生活水準高めと思われます。その中でもサービス品だった粉石けんとヘーゼルナッツ入りチョコレートを買って出てきました。駐車場のところで、私の自転車の後ろにビシーッとバイクをとめられて、出ようがなく困っていると、通りがかりの男性がバイクを一台動かして通り道をつくってくださいました。古き良きブラジルがまだ残っているのを見て、心より感謝しました。

新しい所に足を踏み入れ、さらに福音を語ることまででき、非常に解放感を感じることができました。また次の導きがあるように祈っています。すべての栄光を主イエス・キリストにお返しします!

2013年7月11日木曜日

軽い話

こんにちは、エパタです。 もう少し軽めの日常的なことは、こちらのブログに書いています。よろしくお願いします(^^)。

2013年7月10日水曜日

O meu encontro com Jesus (with English translation)

どのようにイエス・キリストを信じるようになったかをお話しします。

私の身近には教会もなく、クリスチャンもいませんでした。私の家には大きな仏壇があり、小さい頃、母が「嘘をつくと、地獄の大王が舌を抜かれるんだよ~」と言っていました。死んだら何が起こるんだろうと思うと恐ろしかったです。

高校の時、ある先生がその疑問を解いてくれました。先生は共産主義思想について話してくれました。人間は物質と同じで、死ねば命は終わる。何もかも終わると。それで私の死んだらどうなるかという恐れはなくなりました。しかし、別の疑問が湧いてきました。それなら、なぜ生きるのか? 大きな虚しさを感じました。

ある時私は一人のクリスチャンに出会いました。彼女は「神様はいる。私たちの祈りを聞いてくださり、語ってくださる」と言いました。初めてそのような話を聞きました。私にとって神とは、天地を創造したかもしれないか、どこか遠くへ行ってしまった存在でした。イエス・キリストを受け入れませんか? と誘ってくれました。私はイエス・キリストを心に受け入れる祈りをしました。明け方5時ごろでした。

それから教会に通うようになりました。牧師が説教の中で言っていました。「私たちそれぞれに神様は人生の計画を持っておられます。私に対する計画は何ですかと祈り求めました。聖書のイザヤ書43:19-21から語ってくださいました。そして、「ブラジルへ行きます」と語ってくださいました。

その後、教会に来ていた女性がブラジル人男性と結婚されました。そのブラジル人の教会に私たたちの教会の牧師が招待されました。牧師がブラジルに行くことになり、18人の短期チームを結成し、私もその一員になりました。

ブラジル人の教会の一人のメンバーが私の教会の話を聞いて、ブラジルでの働きを協力したいと申し出てくださり、私はブラジルに残ることになりました。その後、ブラジルの永住権も取得して、いまもブラジルに住んでいます。イエス・キリストをほめたたえます。

Olá, a Epata está escrevendo.
Eu nunca tinha visto um cristão no meu redor e não tinha alguma igreja perto da minha casa no Japão. Na minha casa, tinha um altar budismo grande e a minha mãe dizia sempre se a gente mentir, o rei do abismo vai arrancar a lingua da gente. Eu ficava com medo de altar e com o que ia acontecer quando eu morrer.
No colégio, tinha um professor que resolveu esse dúvida. Ele falava sobre um pensamento comunismo. Eles acham que seres humanos são iguais à materiais e quando a vida da gente acabar, acaba tudo. Com essa explicação, o meu medo sobre a morte, acabou.
Acabou o medo, mas a outra dúvida subiu na minha mente. Então, se acaba tudo, para que eu vivo nessa vida? O que é o objetivo da minha vida? Aí, eu tinha um buraco profundo no meu coração.


Depois eu encontrei com uma moça que era cristã. Ela falou, "Deus existe. Ele ouve as nossas oraçõese ele nos fala." Era primeira vez que ouvi isso. Para mim, Deus, pode estar criando a terra, mas abandonou e foi embora longe. Naquela hora ela me convidou para aceitar Jesus como o meu salvador e Senhor. Eu o aceitei. Nos estavamos conversando bastante e esquecemos a hora. Era cinco horas da manhã.
Comecei a frequentar à igreja. Nas mensagens da igreja, o pastor falava assim, "Deus tem um plano para cada um de nos." Então, comecei a buscar a Deus para saber qual era para mim. Deus falou para mim através de Isaias 43:18-21. "Eu te enviarei ao Brasil." Aí, uma moça da igreja se casou com um brasileiro. Eles planejaram a ir ao Brasil. O brasileiro conhecia muitas igrejas e entrou em contato com os pastores para nos convidar a pregar nas igrejas. Naqueles dias eu assisti um video sobre o Brasil, o país que tem um horizonte maravilhoso. Eu entendi que a palavra de Isaias realmente dizia sobre o Brasil.

Uma equipe com 18 pessoas chegou ao Brasil em primeira vez na história da nossa igreja. Aí então, eu vim com eles. Desde então, fiquei no Brasil e agora consegui o visto permanente. Eu fico muito feliz vendo Deus realmente fez o que ele falou. Dou toda honra e glória somente ao Senhor Jesus.


I want to share with you how I met Jesus. I had never seen a Christian in my surroundings and had a church near my home in Japan. In my house, there were a large Buddhist altar. My mother always said if we lie, the king of the abyss would take away the tongue of those who lie. I was afraid of the altar and what was going to happen when I die. In high school, I met a teacher who solved this question. He talked about a thought communism. They think human beings are equal to materials and when one's life is over, it will be all over. With this explanation, my fear of death ended. My fear ended, but another question came to my mind. So if it's all over, why I live this life? What is the purpose of my life? Then I felt a deep hole in my heart. Then I met a girl who was Christian. She said, "God exists. He hears our prayers and he talks with us." It was the first time I heard it. For me, God, may be creating the earth, but left and went away. At that time she invited me to accept Jesus as my Savior and Lord. I accepted. We were just talking a lot and forget the time. It was five o'clock in the morning. I started going to church. In the message of the church, the pastor spoke, "God has a plan for each one of us." So I began to seek God to know what was for me. God spoke to me through Isaiah 43:18-21. And I received a profecy that said, "I will send you to Brazil." Then, a lady in the church married a Brazilian. They planned to go to Brazil. He knew many churches and came into contact with the pastors to invite us to speak in their churches. In those days I watched a video about Brazil, the country that has a wonderful skyline. I really understand that the word of Isaiah could be saying about Brazil. A team of 18 people arrived in Brazil at the first time in the history of our church. So then I came up with them. Since then, I could stay in Brazil and now get a permanent visa. I am very happy seeing God did what he said. I give all honor and glory to the Lord Jesus only.

לברזיל

אני יפנית ואני גרה בברזיל. אני רוצה לספר איך ישוע הוביל אותי לכאן.

תהיתי מדוע נולדתי ומה היתה המטרת החיי. לאחר מכן פגשתי נוצרית שסיפר לי, "אלוהים הוא חי. הוא מקשיב לתפילות שלנו מדבר אלינו." בשבילי "אלוהים" יכול להיות קיים וברא את הארץ, אבל הוא הלך למקום אחר. אז, חשבתי, "אם אלוהים קיים ויצר אותי, אולי יש לו איזה שהיא מטרה לחיי.


ואני קיבלתי את ישוע. מצאתי עבודה בחברת פרסום. זה היה מאוד כיף,אבל מה שבאמת רציתי היה לעבוד בחו"ל.אז התפללתי לישו (אני נהגתי להקשיב לו מבלי להבין את המשמעות). אז, מתפילתי עליו. הוא ענה לי ואמר, "את תלכי לברזיל." לא היה לי שום חברים הברזילאים. מה שידעתי על ברזיל היה רק הכדורגל הברזילאי,תפוחי אדמה ו קנה של סוכר. אחר כך ניסיתי לחפש על ברזיל. קניתי ספר עם קלטת בשביל ללמוד פורטוגזית ברזילאית. נהגתי להאזין לו בלי לדעת את המשמעות.


יום שכזה, היה לי חלום. בחלום הילדים היו סביבי אומרים משהו. הם נראו מתפללים. אחד מהם אמר, "אני יכול לראות את האור שבעיר הרחוקה." ואז התעוררתי. אדם הראשון שפגשתי בבית אחרי אותו חלום הייתה ילדה שראיתי בחלומי. זכרתי שהיא גרה בפריפקטורה של קאנאגאווה, כך שהיה לה קשה לבוא לכנסייה בטוקיו. כשפגשתי אותה, הרגשתי הרגשה מוזרה. אבל לא אמרתי לה, "אה, היית בחלומי קצת לפני."באותו הזמן, שירות הפולחן בכנסייה נערך בתחנת קוקבונגי על חלקו העליון של הבניין. אפשר לראות דרך המעליות הביניין, הנוף היה נראה טוב. כאשר הסתכלתי החוצה, מאחורי נכנסה קבוצת ילדים, אחד מהם אמר, "אה, אני רואה את האור שבעיר הרחוקה".




 

באותו זמן, נזכרתי שזה היה על אותן מילים, ששמעתי בחלומי. אפילו בעת קריאת התנ"ך, אני התרשמתי על ידי מילים כמו, "מוביל למקום גדול" או "לחיות שם".


בטלוויזיה, תוכנית תיעודית דיברה על ברזיל. אני גיליתי כי ברזיל היתה מרווחת מאוד בארץ כי יש לה אופק אינסופי. ופגשתי אנשים הברזילאים רבים.


יום אחד הצטרפתי לסיור בכנסייה לישראל. כאשר הסיור נגמר, עזבנו דרך נמל התעופה בתל אביב. ההינו קבוצה של 53 יפנים ולפנינו הייתה קבוצה של 38 ברזילאים. כל הברזילאים לבשו חולצות טריקו בעל הדפס של דגל משולב של ישראל ושל ברזיל.
ואז, פתאום, אחת הנשים של הכנסייה שלנו התחתן עם ברזילאי. והם החליטו לנסוע לברזיל להכרזת על נישואיהם. אחת המנהלי הכנסייה אשר הברזילאי היה חברו הזמין כומר שלנו. הוא בנה קבוצה של 18 איש לסיור. אני גם הצטרפתי אליהם. כאשר התאריך הגיע, אני חששתי כי "אולי אני לא יוכל לחזור ליפן." אז, התחלתי להשליך דברים משותפים כדאי לעזוב את יפן ללא כל חששות עליהם. לוח הזמנים היה אמור להיות בברזיל כשבועיים. אבל, בנו של מנהל הכנסייה שהזמין אותנו, שמע על הכנסייה שלנו, הוא החליט לעזור לנו. אני יכולתי לישאר עם משפחתו. הוא ידאג לאשרה קבע שלי. אז, אני יכול לקבל אשרה קבע בברזיל. אולם, זכרתי את האורות בשדה התעופה בסאו פאולו וגם הכביש היה חלש מאוד בתקופה ההיא. אבל עכשיו ברזיל מתפתחות.


אני מודה לאמיל שעזרה לי לכתוב את המאמר הזה


2013年7月7日日曜日

ポルトガル語の訂正がありました

こんばんは、エパタです。

先日書きました「白馬キャンプに誘いました」の記事のポルトガル語に間違いがありました。ブログを読んでくださっているブラジル人の方が訂正をメールにて教えてくださいました。感謝いたします。訂正文を赤文字で記してありますので、ご参照ください。

Olá! A Epata está escrevendo. Recebi um e-mail com a correção do texto que escrevi no artigo anterior. Muito obrigada!! Mande mais mensagens com o formulário abaixo. (1o quadro/ o nome, 2o quadro/ endereço elétrônico repetindo 2 vezes, 3o quadro/ a sua mensagem) Grata!!




2013年7月1日月曜日

なぜか⁈ 直った(^^)


こんばんは、エパタです。

サッカーブラジル代表コンフェデ杯優勝おめでとうございます!
 
さて、このアイフォン持つ前に使っていた中国製の携帯電話。チップ比べで中にいろいろな会社のチップを入れていたら、使えていたWi-Fi 経由のブラウザが使えなくなり、しばらく放置して置きました。今日ふとまたトライしてみたら、使えるようになった‼

ブログをパッと見るには便利だったので、使えなくなり、とても不便でした。

ある日本語のブログで、ブラジル人の問題解決の仕方の中に、「いろいろやってダメなら、放置する。そのうち解決する」というのがあって、なるほど確かにそうだなと思ったことがあったのですが、今回はブラジル式で解決しました。感謝しま〜す!

2013年6月24日月曜日

W杯ブラジル大会情報・その2

こんにちは、エパタです。

コンフェデ杯日本代表は負けてしまって残念です。いま私は「ブラジルに住んでいながら日本を応援するとは、裏切り者!」とのことで、「ブラジル人にはブラジル人のように」ブラジル人に右へならえで、スペイン・ナイジェリア戦を見ています。近所中からテレビを見ている音が聞こえてきます。

私のようにテレビがない人には、インターネットで見るというワザがあります。

ブラジルはこの試合の勝者と水曜日に対戦するそうです。



サッカーのポルトガル語は特殊用語があり、しかも速くて聞き取りにくいですが、聞き流しのヒヤリングの訓練には良いですよ♪♪

2013年6月19日水曜日

フィンランドからも !!

こんばんは、エパタです。
ついにフィンランドからもアクセスがありました!! ありがとうございます。この頃ヨーロッパからのアクセスが増えてきています。感謝♪♪

2013年6月15日土曜日

とうとう

おはようございます、エパタです。ブラジル国内からのアクセスが日本からのアクセスを上回りました。ブラジルの皆さん、ありがとうございます!! (^^)

チェコからも!!

こんにちは、エパタです。
チェコからの初めてのアクセス!! ありがとうございます!! プラハからでしょうか? (^^)

2013年6月13日木曜日

W杯ブラジル大会情報・その1

おはようございます、エパタです。

先日はW杯ブラジル大会に向けて、バックパッカーに魅力的な都市リオデジャネイロをご紹介するシリーズを書こうと思ったのですが、W杯の試合すべてがリオデジャネイロで行われるわけではないことがやっとわかったので、W杯情報と分けてこちらもシリーズで書こうと思います。

まずはW杯の前に、コンフェデレーションカップというのが、行われるようです。なんとブラジルと対戦です。6月15日ブラジリアにて16:00より、です。日本語ではNHKが生中継をやるようです。インターネットだけでなく、テレビでやると思いますが...。ブラジル時間は非常にわかりやすく、日本の午前と午後を入れ替えればOK。ブラジルの午後4時は翌日(つまり16日の日曜日)の日本の明け方4時です。徹夜する必要はありません。少し早起きすればよいのです~。日本のチームはブラジルにとっても、気を抜けないチームです。私はネイマールくらいしか知らないのですが (^^;)。W杯に向けて戦略を練る意味でも、よく勉強したい試合です。

2013年6月12日水曜日

グァララペスの風景(動画その2)



こんばんは、エパタです。グァララペスに行ってきました。動画も撮ってきました! 
これはバスターミナルです。

2013年6月5日水曜日

リオデジャネイロの思い出(その1)

こんにちは、エパタです。

サッカー日本代表の来年のワールドカップ出場が決定しました。おめでとうございます!
ワールドカップの後、2016年にはオリンピック開催ということもあり、日本からブラジルへの多くの観光客が来られるでしょう。ブラジルはバックパック旅行者にとって、リスクはありますが、魅力的な国です。

私は以前、リオデジャネイロに住んでいました。最初はサンパウロに住んでいて、教会の用事で一か月に一度のペースで通っていたのですが、一時期リオデジャネイロに住んだこともありました。

私には「心のふるさと」と呼んでいる所があり、1にイスラエル、2にロサンゼルス、3番目がリオデジャネイロです。以前少しそれに関して書いたこともありましたが、これから一年間は「リオデジャネイロ」が話題となると思いますので、ブログアクセスアップのためにも(!)、思い出す所でつらつらと書いていきます。

(参考記事)

心のふるさとリオデジャネイロ
貧しい地域の児童支援施設を訪問
ブラジルの接続事情シリーズ

2013年5月31日金曜日

母の腰の痛みがやわらいだ

こんばんは、エパタです。

母とスカイプで話し、祈ることができました。

そこで、2つの祈りの答えを見ることができました。

1つは母の腰が痛いことがあるとのことで、先週からその祈りの課題を祈り始めたのですが、今週は痛みを感じることなく過ごすことができたそうです。



2つ目は甥っ子たちの学校が過疎化で合併し、遠い所へ4月から通うようになったのですが、田舎者なので、良い友達ができるようにと祈っていました。すると、今月新しい住人が引っ越してきたそうで、楽しく学校に通っているのだそうです。「この頃いつもニコニコしている」そうです。

ハレルヤ! 主は祈りを聞かれます! 主にご栄光をお返しします‼



右下の黄色い家が自宅です


2013年5月23日木曜日

ポルトガル語訳をお渡ししました

こんばんは、エパタです。

先日、サンパウロに旅行しておられたイェフダさんより帰宅されたとのお電話がありました。そこで、私がイェフダさんについて書かせていただいた記事が載った月刊誌「雲の間にある虹5月号」と記事のポルトガル語をお渡ししました。

たいへん喜んでくださり、イェフダさんが所属しておられるメシアニック・ジューの教会ノバ・アリアンサ(日本語では新しい契約の意味)のブラジル全国レベルの会合がクリチバで開催されるので、その時に月刊誌を持っていって、リーダーの方イシャイさんに見せると言っておられました。感謝します。

2013年5月17日金曜日

ブラジルの法律その1- ウズカピアォン

こんにちは、エパタです。

私が初めてブラジルの土地を踏んだのは、1996年5月23日でした。ブラジルに暮らしてもう17年になろうとしています。

住めば住むほど、日本とブラジルは習慣や価値観に、ある場合は「正反対(ブラジル人によると)」と言われるほどの違いがあることを感じます。それがどこから来ているかと考える時に、やはり法律が違うので、おのずと価値観も違ってくるのだなと思われることがよくあります。そのブラジル人の価値観をつくり出しているのではないかと思う法律の一つに、ウズカピアォンという法律があります。日本語訳もあるようですが、いまここで書こうとしているのはブラジルの法律なので、混乱を避けるため、あえてリンクはしないことにします。基本的な考え方を知る上では、参考になると思います。

この法律は、どういう法律かと言いますと.....。たとえば、ある土地があり、空き家があるようです。もちろん他人の土地です。そこにある人が勝手に住み込み、1年たち、2年たちしますが、誰も何も文句を言ってきません。そこでその住み込んだ人が裁判所に、「これは私の土地です。X年O月から住んでいます。私の物であるとの宣言をお願いします」と文書を提出します。裁判所がそれを受け取り、その土地の所有者として登記所に登録されている名義人に対して、呼び出しをかけます。「これこれの者があなたの所有地について、自分の物であると申し立てているから、弁護しなさい」どの文書でもそうですが、裁判所の文書には期限があります。その期間内に弁護しない場合、その土地は、勝手に住み込んだ人の所有地となってしまうのです。

これは犯罪でも何でもなく、厳然と法律で保障されている権利なのです。この法律の考え方がどこから来ているかというと、基本的人権で保障されている居住権の保護の考え方から来ています。すべての人は、最低限の必要として、食べる物や着る物が必要であると共に、住む場所が必要であり、その権利は保護されるべきだとするのです。

このウズカピアォンという法律は、英語のuseからも察することができるように、ポルトガル語でも「使う」に関する言葉です。土地や建物は「使っている人の物」なのです。

日本人にとっては、信じられない法律です。しかし、ブラジルでは日常茶飯事として現行している法律です。いわば、常識なのです。ですから、空き地、メンテナンスができていない家というのは、誰もが目をつけます。勝手に住み込んで自分の物にしようともくろむことがないまでも、「これはいったい誰の.....? 取られても知らないよ」と自然に思うのです。

日系人の方々と話をして、これで土地や建物を失ってしまった人の話を何度も聞きました。また、新聞にはよくニュースで「侵入者が立てこもり、所有者との戦いになっている」などの記事を目にします。聞くところによると、政治的にそれらの動きを利用する団体まであるそうです。

いまだにびっくりですが、それが現実です。また、それを踏まえて対応していく必要があります。






 

2013年5月9日木曜日

グァララペス訪問のビデオ

おはようございます、エパタです。

アイフォンでビデオを撮影して初めて、編集というものを試みてみました。
いろいろ編集アプリを探しましたが、無料ではあまり良いのがなく、この CuteCut というのが、切ったり貼ったりがやりやすいアプリでした。画面が小さくなってしまうのが難点ですが。 

私はアレルギーがあって、何が原因か、途中から皮膚にかゆみが出て、あまり撮影することができず(以前は住んでいたのですが....)退散することになりました。

後で自分で聞いてみて、言葉に繰り返しとかムダが多い(-_-).....。特に「この場所が」というのを何度も言っています。

それはさて置いても、もっといろいろ風景を撮ればよかったと反省です。


2013年4月27日土曜日

祈りが聞かれた!

こんばんは、エパタです。

またまた私事で恐縮ですが...。

昨日は母とスカイプで話し、お祈りしました。だいたい毎週木曜日に話します。最近ではインターネットで何でも情報が手に入るので、いろいろ日本で起こっていることの世間話とか、何を食べたとか、体調はどうかなどを話し、祈りの課題を出して祈り合います。母は聞いているだけのことが多いですが、一言二言祈ってくれることもあります。日本に大きな地震が四年以内に70パーセントの確率で来るという意見もあるので、家族・親族が早く悔い改めでイエス様を信じて、災害から守られるようにも祈っています。

具体的な必要のためにも祈りますが、母が前回の先週の木曜日に出した祈りの課題は、私の弟についての課題でした。

弟は結婚して両親と同居していて、二人の息子がいます。弟は町内会の子供会の責任者をしています。千葉の田舎村なので、過疎化が進み、子供会のメンバーは弟の子供たち二人だけです。町内会では資源回収の係は子供会の担当で、実質的には資源回収の作業を弟一人でしなくてはいけません。

今回の資源回収の期限として町内会長さんから言われていた日にちは5月12日で、仕事をしている弟はゴールデンウィークを返上して資源回収の仕事をしないと間に合わない事態になっていました。弟は以前ストレスのため、内臓を痛めて入院したりしたため、体調も厳しい状態です。

そこで母が、「弟の資源回収の仕事のために祈ってほしい」が課題でした。

課題を聞いて、私は「イエス様、弟の負担が少なくなりますように。願わくは、資源回収の仕事がなくなりますように」と最初祈りました。すると、母が、「そうじゃなくて、一人でやっている仕事を町内会全体で負担してくれて、町内会全体の仕事になりますようにと祈ってほしい」と言いました。そこで、母が言うように祈りました。

すると、今週、母が言いました。「先週お祈りしてくれたでしょう。その通りになってきてる感じなのよ」とのことでした。父が町内会長さんに電話して、事情を説明したところ、町内会長さんも「実はリサイクルの業者の都合が悪くなって、5月12日には無理そうなので、そちらからもそういう事情を言ってきてくれたので...」ということで、期限がなくなったのでした。ゴールデンウィークには休めそうです。

イエス様が祈りに答えてくださいました!! ハレルヤ!