2013年11月9日土曜日

プラハ聖会が行われます

プラハ聖会11月8日 現地時間 午後6:30~
Prague : プラハ Sbor Bratrske Jednoty Baptistu 教会内、二階の小会堂
どなたでも歓迎いたします。

プラハ城を背景に走る市電

近くを路面電車が走っている模様です。行ってみたいなぁ~。
Wikipedia より

2013年11月8日金曜日

オーストリアから!!

 
おはようございます、エパタです。
 
オーストリアからのアクセスがありました! 
ありがとうございます!!
 

2013年11月7日木曜日

エルサレム旅情報・番外編~黄金門への行き方

こんにちは、エパタです。
 
私も今インターネットで黄金門のところにいます。^^
 
シュミレーション的にはダン・エルサレム・ホテルから車を運転してきました。^O^
  
(行き方)
ホテルを出てロータリーを一周し、ガードマンさんに挨拶して、道に出て(レヒ通り)右折。

一本目の大通りアーロン・カツィール通りを右折。

すぐに左折なので、レーン左に寄って、大通りヘブライ大学通りを左折。

さらにまたすぐ右折に右寄りに行って、ヴァディ・アル・ジョズ通り(いかにもアラブ系)に入る。

これをずっと南下。高速番号がついていて、417番。

すると、もう右前方に城壁群が見えてきます。右折すると、ダマスカス門へ、そのまま直進。

左を注意すると、(あるいは助手席に乗っている方に見ていただき^^)ド派手の金キラキンの教会が見えてくる。もう近いです。

二本目の通りを右折して、遠くに金キラ教会を真ん前に見て、駐車。黄金門を見上げています。

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車を駐車する場所がどこかにあれば、歩いてステパノ門の入り口から黄金門の近くまで行けるようです。教会のブログより




 

2013年11月5日火曜日

メシアニックジューの集会

こんにちは、エパタです。

教会のブログによると、イスラエルへ旅行中のメンバーたちはメシアニックジュー(Messianic jew / イエス・キリストを信じるユダヤ人)の集会に参加できた模様です。



臨場感があります。私も行ったような気になりました。

2013年11月4日月曜日

今年の御言葉

こんばんは、エパタです。

主の十字架クリスチャンセンターの教会としての今年の御言葉が発表されました。
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(ピリピ4:4)

この御言葉を黙想しながら、教えられたこと....。
まずは、聖書の中で「喜び」のキーワードで検索してみました。

1. 神様は物質的なことを含めて多くの天からの恵みで私たちを喜ばせてくださっていること。たとえば、雨を降らせて、豊かに食べ物をくださることによって。
2. 聖霊に満たされることと、喜びに満たされることには関係がある。(ヨハネの福音書などより)
3. 目に見えないものを信仰によって喜ぶこと。「天に名前が記されていることを喜びなさい」など。目に見えないがしかし現実であるもの、その一番目は神様の言葉。御言葉を喜ぶ。(エレミヤ書などより)

踊る、叫ぶ、宣言する.... などのアクションを使って喜ぶことはすでにやってきているので、継続しつつ、今年は感情を使って、神様が今もうたくさん与えてくださっているものを喜び、さらにこれから与えてくださるもの、いろいろ想像しながら、喜んでみたいと思います。

2013年11月3日日曜日

体験談シリーズ・ブラジル永住権取得

ブラジルへの続きです。

私は日本からブラジルへ派遣される時に、教会の祈り会の中で、預言を通して(新約聖書の1コリント14章ほか参照)「永住する」と言われました。

ブラジルでのホストファミリーの方が、私のビザのためいろいろと調べてくださったところ、
「昔は宣教師の受け入れは簡単だったが、(オウムのサリン事件がきっかけで)法律が変わって難しくなった」
と言われました。

とうとうビザが切れて、そのままの状態が続きました。

982月に神様に「リオデジャネイロへ行くように」と語りかけを受けました。それはいろいろな状況や、私の思いの中で、そうしたほうがよいのではと考え出したのです。同時に、「リオデジャネイロに行く時、そこから海外への道が開かれる」と言われました。

私自身は、ビザが切れていることで、気が重く、いったいどう解決するべきかと毎日思い悩んでいました。パラグライなどへ一度出たらよいのではないかなどといろいろ考えました。

ある時、思い煩いに耐え難くなりました。神様に
「どうぞ、何でもいいですから、合法的に滞在できるビザをください」
と祈りました。すると、神様は
「なんでもよいではなく、私は永住権を与えると言ったではないか。永住権を求めなさい」
とはっきり語ってくださいました。そこで、私はビザなら何でもいいと思っていたことを悔い改めて、具体的に永住権を求め始めました。

9月、銀行で送金を受け取ろうとした時、ビザが切れていることがわかってしまい、銀行の方に「まずビザを取得してから、来い」と言われました。

あまりのショックで茫然として、何をしたらよいかわからず、ベンチで聖書を読んでいました。すると、列王記4:7から「行ってその油を売り、あなたの負債を払い、その残りであなたと子供は暮らしていける」という言葉が語られました。

帰り道、所持金1レアルであることを徹底的に感謝をしました。暮らしていけると神様が言っておられるので、感謝しますと祈り続けました。

食料もなくなった時、住んでいた間借りの同室の女の子が助けてくれました。

その期間、聖書から黙示録2:10より「10日の間苦しみを受ける」と語られ、神様はこの苦しみは10日間で、助けが来ると語ってくださいました。


10日めに、住んでいた間借りの家の玄関の呼び鈴を押す人がいました。出てみると、以前最初にリオデジャネイロに来た時にホテルを手配してくださった旅行社のMさんが、送り続けていた教会の情報誌を見て、私の住所を探しあて、訪ねてくれたのでした。

Mさんの家にうかがうと、テーブルに置いてあった新聞のトップ記事に日本語で「永住権本当に取れる?」とあり、びっくりして読みました。なんと、ブラジルの大統領が、ある特定の期日までにビザが切れている者、いわば不法滞在者に永住権を与えるという法律を出したことが書かれてあったのでした。ビザはとうの昔に切れています。

所持金ゼロであることを相談すると、Mさんが私が当時販売していた教会の書籍類すべてを買い取ってくださいました。それで、ビザの申請のための諸々の手数料を支払うことができました。さらにMさんは旅行社の方だったので、ビザの手続きも助けてくださり、身元引受人にまでなってくださいました。

そして永住権の前段階の一時ビザを取ることができ、銀行に行って送金を受け取ることができたのでした。

まさか、大統領特赦なんて、こんな方法があるとは、思ってもいませんでした。主をあがめます。

体験談シリーズ・ブラジルへ

導きの証しシリーズ長期宣教師への導きの続きです。

ロサンゼルスでは3か月のウエイバービザで滞在していました。とうとう税関で止められるようになり、日本へ帰国することになりました。

二度と日本へ帰らないと思っていた私は、敗北感でいっぱいでした。祈り続ける中で、ある時神様は「あなたをブラジルへ遣わす。言葉をやっておけ」と言ってくださいました。ブラジル人の知り合いもいないし、ブラジルというとサッカーと、芋とサトウキビくらいしか、知りませんでした。

しかし、ブラジルについていろいろ調べ始めたり、カセットつきポルトガル語会話の本と、ポルトガル語聖書の詩篇の朗読テープを買って、意味がわからなくても聞き流していきました。

ブラジルへ入れるビザについて調べたりしましたが、日本語教師などが少数入っているが、今は受け入れなしと書いてあり、大使館へ電話したりしましたが、セクレタリーがエンドレステープのようにグルグル回っているばかりでした。

そのようなある日、夢を見ました。私が一人立っていて、たくさんの子供たちが私の周りにいました。小さい声で何か言っていました。祈っているようでした。その中のある子が言いました。
「遠くの町々の灯かりが見えるよ」
目を覚まして一番最初に会った人は、その中にいた子でした。彼女は神奈川県に住んでいたはずで、年齢的にも一人で東京の教会まで来るのは難しい感じがしたのです。彼女に会った時、不思議な気持ちになりました。私が今見た夢の中にいましたよとは言いませんでしたが

当時、東京の教会は国分寺駅ビルの最上階で礼拝をしていました。ビルにはシースルーのエレベーターがあり、眺めが良かったので、外を見ていると、背後からどっと子供たちが入ってきて、
あ~~、遠くの町の灯かりが見える~~」
とある子が言いました。私は、夢の中で子供が言っていた言葉だと思い出しました。

聖書を読んでいると、「広い所へ導く」「住むべき場所」という言葉が目につくようになりました。ちょうどテレビでは、ブラジルのドキュメンタリー番組がやっていて、ブラジルは広々としていて、地平線が果てしなく続く国だとわかりました。

それから、よくブラジル人に会うようになりました。ある時は、教会のツアーでイスラエルに行きました。ツアーが終了し、テルアビブ空港でいよいよイスラエル出国という時、なんと私たち53人の日本人の前に、38人のブラジル人のツアーがずらーっと並んでいました。皆がお揃いのイスラエルとブラジルの旗のプリントTシャツを着ていました。ヘシーフェのクリスチャンの団体でした。

実家の近くでもブラジル人と知り合って、仲良くなり、ブラジル料理を家で食べさせてくれたり、ブラジル専門店に連れていってくれたり、ポルトガル語を教えてくれたりしました。

その後、突然、一人の教会の女性がブラジル人の方と結婚されました。彼らが結婚のお披露目のためにブラジルに行くことになり、そのブラジル人の方のお知り合いが役員をしている教会へ、私たちの教会の牧師が招待されました。音楽担当の方など、18人のツアーが組まれることになり、18人目は無料ということになり、私は無料で参加できることになりました。

聖書を読んでいると「私が示す地へ行け。足で踏む所はあなたに与えている」(ヨシュア1)という言葉が心に響きました。

実家へ帰ると、母がテレビの前に座っていて、なんとサッカーを観戦していました。「趣味が変わった?」と一緒に見ていると、テレビ画面に「イエス・キリストのおかげです」と文字が出てきました。(母は未信者でした)私からでさえ、はっきりとは言えなかったキリストのことがテレビ画面に出てき、母は自然とそれを見ていました。日本も変わったなと思いました。それで、私は母に「私はブラジルに行くよ」と自然な形で信仰告白ができたのでした。(別れを告げたわけではありません)

ある時、母と二人で歩いていると、ブラジル人の一行とすれ違いました。耳を傾けると、ポルトガル語でした。母に
「あの人たちはブラジル人だよ」
と言うと、
「あ~~、ブラジルって、あんたが行く所かい?」
と返事が返ってきました。(ああ、お母さん、私はもうブラジルに行くことになってるのねと思いました)

派遣が迫れば迫るほど、私は日本が一番だ!病にかかり、日本はいいな、でももうこれもできない、あれもできなくなると思いました。

教会からブラジルへ行く派遣チームの日程は2週間ほどの予定でした。派遣直前の徹夜祈祷会で、「サンパウロ郊外に器が用意されている。永住する」と預言がありました。そのことを聞き、ある方は、「今回のチームで居座れば?」と冗談を言われました。また、ある方は、生活費の全部ではないかと思われる献金までしてくださいました。その献金を手にした時、「私は本当にブラジルに行って、帰って来ないかもしれない」と思いました。そこで、もし急な導きがあって、ブラジルに残れることになったとしても、残した物に未練がないように、身辺整理をしていきました。父にもらったギターをあげ、やっと便利になって使いこなせるようになってきた自転車もあげ(いただき物でしたが)ました。

いざ、派遣へ行くと、招いてくださった教会役員の方の息子さんが、私たちの教会の話を聞いて、協力したいと申し出てくださいました。私はその方のご家庭にホームスティできることになり、長期滞在のビザもお世話をしてくださることになったのです。

体験談シリーズ・ロサンゼルスでの思い出①運転免許

こんにちは、エパタです。

これは以前書いた記事の続きです。いろいろ思い出すことがあるので、記念のために書いておきます^^

私が最初にロサンゼルスに向かったのは92年3月末で、季節に似合わない大雪が降る日でした。飛行機が飛ぶかと心配しましたが、無事ロサンゼルスに行きました。ノーウォークのWさんのお宅で集会をもちました。

それからいったん帰国し、ふたたび4月半ばにロサンゼルスへ長期宣教師として遣わされました。パサデナのウィリアムケアリーに宿泊して、Wさん宅とDr.Yさんの診療所での集会をもち始めました。

ここで少しさかのぼります....。

ロサンゼルスに行く前に、教会の人に「アメリカでは車の免許は身分証明書の代わりで、ないと困る」と言われました。当時日本では車の免許は30万円かかる。お金はないが、教習所へ行ってみました。平日で開いているはずが、二日続けて閉まっていました。おかしいなと思いましたが、感謝して主にゆだねました。

ロサンゼルスで一緒だったお二人は、すでに日本の免許を持っていて、国際免許で運転しておられました。長期滞在のため地元の運転免許を取り直すため、DMVへ行きました。私も行き、お二人が列に並んでいる時、ベンチに座り、聖書を読んでいました。すると、ルツ記の言葉が心に響いてきて、聖霊に「あなたも並びなさい」と語られました。

葛藤がありましたが、私も列に並んびました。牧師は複雑な表情をしておられましたが、「私も免許を取りたいのですが」と言うと、運転手が増えるので、喜んでくれました。

筆記試験で日本語があり、聖霊に助けを求めながら答えていくと、合格しました。実技試験はすでに免許を持っていた二人に指導していただき、合格しました。日本では30万円かかると言われていましたが、カリフォルニアで13ドルで免許を取ることができました。主をあがめます。(追記:後に更新の仕方を知らなかったので、期限切れしてしまいましたが)

2013年10月31日木曜日

アラサトゥーバ旅情報・野生の猿がいる公園

こんにちは、エパタです。

旅シリーズを続けます。今回は近場で。

アラサトゥーバにも動物園がありますが、印象としては鳥類・爬虫類が多く、生物学などの専門家にはヨダレものですが、一般人にはやや退屈かもしれません。入園料取られますし。

そこで、タダで入れるサンパウロ州立大学(UNESP)の公園をご紹介します。


広大な大学の敷地内にFOA(アラサトゥーバ歯科大学)があり、近くに野生の猿がた~くさんいるのです。この猿の種類は、マカコ・デ・プレーゴだそうです。意味は釘猿。くぎ? わかりませんが。小型です。


猿専用の管理事務所があり、そこで食べ物をあげる許可をもらいましたが、襲ってくる危険はないとのことです。

かなり近くまで寄ってくるので、かわいいです。

 
行き方は車で高速でUNESPまで行くか、足がない場合は、アラサトゥーバのバスターミナルからFOA行きがあります。バス代は確か2レアルくらいだったような(100円くらい)。


2013年10月30日水曜日

体験談シリーズ・リオデジャネイロへの移動


19981月末、日本からの宣教チームとともに、初めてリオデジャネイロに行った帰り道、すさまじく道に迷ったが、車中で牧師が「これからリオへ出ます」とおっしゃった。その後、サンパウロで今までに見たことのない虹を見た。まさに、「雲の間にある虹」、大きな灰色の雲に鮮やかな虹がかかり、その虹の前を小さな濃い灰色の黒っぽい雲が通りすぎていく。ビデオを撮りたいと思った。
 
その夜、聖書を読んでいると、イザヤ書6章を通して「誰が行くだろう」という言葉が心に響いた。リオデジャネイロに行くという意味か? と思いを巡らしていると、いったい誰が行くのだろうという思いになり、あれ、ということは私しか、いない? ことがわかった。
 
それ以来、新聞を読むようにしたが、半分近くの記事が殺人などの凶悪犯罪で、恐れが来た。
 
ある日、パスターミナルに行って、すぐ帰ってくるという旅をすることを決心した。
 
腹巻にパスポートとお金を入れ、よれよれのTシャツにビーチサンダルといういでたち、スーパーの袋に聖書と教会から出されている月刊誌「雲の間にある虹」を入れて、3月、バスで出発した。
 
月刊誌をリオのバスターミナルのキオスクに置かせてもらって、すぐに帰ってきた。バスはすいていて、おまわりさんが私のところに来て、私のすぐそばにピタッと張ってくださった。
 
二回目はリオで長期滞在できる場所を探した。
 
誰も知り合いがいないので、最初はホテルを目指した。広告で一番安かった60レアルのAホテルを目指してリオのバスターミナルで乗り換えたが、降り損ねたらしく迷い、どこを走っているのかわからなくなった。
 
迷ったことを感謝していると、前方の座席にアジア系らしい男性がいた。助けを求めると、その人Uさんは日系人で、日本語がわかり、しかも旅行社の人だった。
 
事務所に連れていっていただき、ちがうBホテルを紹介してもらった。さらに格の良いホテルを旅行社割引で45レアルで泊まることができた。朝食もビュッフェで最高、眺めも良く、電話も明細がしっかり出てきた。この旅行社で、後に永住権取得の時に助けてくださったMさんと出会った。
 
後日新聞を見ていたら、このAホテルの前で殺人事件が起きていた。主の守り、導きは完全。主をあがめます。

それから何度も、サンパウロとリオデジャネイロを行き来するようになった。ある時は、突然バスの中に高速警察のおまわりさんが乗ってきて、乗客の身分証明書とバックの中身を調べ始めた。私は恐れた。私のビザはすでに切れていたからだった。まわりさんは私とあと一人の乗客をバスから下ろし、バスの下に荷物があるかと聞いた。もう一人の乗客の荷物を調べ、私は持っていたかばん一つだというと、パスポートを調べた。パスポートにはさんであった緑の紙(アメリカのウエイバー)ピラピラさせて、「これがあれば、よし」と言って、にーっと笑った。

後日、ある日、その日はリオに行くことにしていた日だが、行きたくなかった。夢を見て、その中で見た「イヘプリエンシーベル」という言葉が起きてから頭の中に残っていて、デボーションの個所にその言葉がそっくりそのまま出てきた。怠りなくという意味だった。びっくりして、これは行かなくてはと思った。
 
「み声に聞き従う」という本をバスの中で読んでいると、7章に書かれていた聖書の言葉が心に響いた。「手を海の上にさしのばし、海を分けよ」。以前リオの霊の戦いの時に、コルコバードの丘の上で、「海のほうに手を伸ばせ」と主が言っておられるような気がしたので、手を伸ばした記憶がよみがえってきた。

そして私に主は「リオに出ることを通して、ビザが取れて、リオから海外へ出れる」と語ってくださった。

リオに行く途中で停車した休憩所で新聞を買って、間借りが一ヶ月150レアルとあるのを見つけ、訪問してみた。クリスチャンのオーナーだった。彼女の家に住みながら永住権が取得でき、それで海外にも出ることができた。リオからイスラエルへも行った。主をあがめます。

2013年10月29日火曜日

リアルタイムとりなし・その2

こんばんは、エパタです。

目が覚めてきました!

ルフトハンザ組は無事テルアビブに到着いたしました。アメリカからのトルコ航空組と合流し、エルサレムのホテルに向かっている模様です。




オーストリア航空はゲートを13分遅れて出発ずみ(写真右)、テルアビブに5分遅れで到着の予定です(写真下、オーストリア航空ホームページより「発着状況」。
現在テルアビブは0:40なので、あと15分!















PS

最新情報によると、1:03に到着したようです。

リアルタイムとりなし

こんにちは、エパタです。

とても眠いですが....。

主の十字架クリスチャンセンターからイスラエル・ヨーロッパチームが遣わされています。

成田空港を出発したチームは現在、ルフトハンザ組はテルアビブに向かっていて、着陸寸前。













オーストリア組は定刻通り飛行機がゲートに着いたようで、ボーディング中です。(アイフォンのFlightTrackによる情報)











チームの詳しい状況はこちらのブログで確認できます。



さらに私は FlightTheory で着陸の練習中.......。







2013年10月23日水曜日

体験談シリーズ・長期宣教師になる

イエス様を心に受け入れる祈りして、教会に通う中で、イザヤ書43章を通して、宣教師の召しを受けました。しかし、大学生活が楽しく、世の中の楽しみにひっぱられていました。

祈りの中で神様に「このまま行くと、人生の終わりに空しいものを刈り取ることになる」と言われ、ぞっとしました。熱心に祈り求めました。

すると、ある朝読んだ聖書の言葉、「誰も閉じることのできない門をあなたの前に開いておいた」が心に響きました。

その日の夜、徹夜祈祷会に参加した私はいつの間にかうとうと、居眠りしていたようです。遠くかなたで声がしました。「目を覚ましなさい~」と。意識が浮上してき、目を開けると周りの人が笑っていました。「アメリカに遣わす」と言葉が続きました。祈りの中で私のことが話題になっていたようです。

それらの言葉を祈りの中で黙想した結果、神様が語られていると確信しました。教会から19923月半ば初めてアメリカに教会設立を目的とする集会が行われることになり、そのロスチームに途中参加が導かれました。

飛び立つ日は大雪で、飛行機が飛ぶかと思いましたが、無事、日本を脱出しました。行く日の朝、教会の早天祈祷会に参加したところ、私にたくさんの言葉をいただきました。「最終的に行く所は英語圏ではない」具体的には中南米と語られました。

ロサンゼルスでは、チームの方々が空港まで迎えに来てくれました。さらにそのチームで長期宣教師になると語りかけがありました。そして、その後、すでにアメリカ行きが決まっていた他の二人の教会の方々と共に再びロスへ行くことになりました。

帰国した後も祈っていましたが、お金はありませんでした。最初の費用は50万円と聞きました。ある時証しを聞きました。必要金額を受けたと信じ、十分の一を信仰で捧げる、すると10倍が与えられたと。

促しを感じ、所持金を調べるとほぼ5万円ではないか。思い切って捧げると、次々といろいろな人々から献金をいただき、生活も支えられ、預金残高が今までの最高50万円を超え、献金した上、ロサンゼルスへ行くことができました。主をあがめます。

体験談シリーズ・リオデジャネイロで女性の鼻の病気が治った


2007年にリオデジャネイロに日本から宣教チームが来て、癒しの祈りをしていただいた後、みるみる皮膚がきれいになった。 自分でもびっくりしたが、グァララペスの周りに住む人々が「肌がきれいになったねぇ~」と言うようになった。3人の人に同じことを言われた。

その当時、(ホザンジェラさんのお父様が癒されたとは知らず)国際伝道センターの有志と伝道に出た。公園で日本語とポルトガル語で賛美をして、その後教会のパンフレットを配りながらベンチに座っている人々に話しかけていった。

ある女の子がうつろな表情で座っていた。ホザンジェラさんが話しかけた。彼女は自分はスピリティズムを信じていると言った。ホザンジェラさんは神は頭の中だけの存在ではなく、生きていると言った。

彼女は自分の悩みを話し始め、「鼻の病気が見つかり、会社を首にされそうだ。今日も病院に行って検査をしてきた」とレントゲン写真の入った大きな封筒を見せてくれた。

私は自分はひどい皮膚病で小さい時から苦しんできたが、神様が癒してくださり、きれいになったと自分の腕を見せた。その後、ホザンジェラさんが「イエス様を信じますか」と聞くと、彼女は「信じる」と言い、私たちと一緒に受け入れるお祈りをした。

それから皆で彼女の鼻に手を置いて祈った。彼女は感動して、もし治ったら教会に感謝しに行くと言った。後日、ホザンジェラさんから聞いたところによると、彼女の病気は治り、彼女の言葉の通りに教会に感謝しに来たそうだ。主をあがめます。2010/05/16記す


Isso aconteceu no Rio de Janeiro. Eu estava participando uma equipe de evangelizãção da igreja com os irmaõs. Nós fomos ao parque e começamos a cantar hinos. Muitas pessoas estavam no parque e nos ouviam. Depois de acabamos a cantar hinos, começamos a distribuir folhetos e convidamos as pessoas à igreja. Aí vimos uma moça sentada no banco aparentemente abarada com um envelope de exame médico. Uma moça da nossa equipe
falou com ela, passando o folheto. "Jesus te ama. Ele é a solução de todos os problemas."

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Ao receber o folheto, moça que estava no banco falou, "Sou espirita, mas tenho problema. Acharam uma doença no nariz e eu vou ser mandada embora do meu serviço...."
Aí a moça da igreja respondeu Jesus te cura. Vamos aceitar Jesus agora. Oramos para você. Eu também falei,"Tinha doença grave na pele, usava muitos remédios. Jesus me curou e libertou!" Ela orou aceitando Jesus como Salvador e Senhor naquele momento e também oramos
para que ela ser curada o nariz dela, colocando nossas mãos sobre o nariz dela.
Depois de oração, ela falou "Se esta doença for curada, eu vou à igreja para agradecer."

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Depois a moça da igreja falou para mim que ela apareceu na igreja, dizendo "Não detectou a doença no exame! A doença sumiu! Eles não me mandaram embora. Estou continuando no serviço."
Ela falava para ir à igreja agradecer. Foi isso mesmo que aconteceu.
Eu louvo ao Senhor Jesus e dou toda honra e a glória ao Senhor.

体験談シリーズ・グァララペス男児のアレルギーが治った~with English translation


200512月25日クリスマスの夜、教会の礼拝で2歳の男の子が突然泣き出した。礼拝が終わってもまだ泣いていた。母親がおかしいと言い出した。洋服をめくって足などを見ていると、体中に足やお腹などに赤い点々があるのに気づいた。「アレルギーだ。虫にでも刺されたにちがいない」と言った。教会の方がバイクを飛ばして薬を買いに行った。

母が子をベッドに横たえ、「病院に行かせるべきだ」と言うと、かわいそうだなぁ、でもどうしようもないと思った。その時(聖霊だと思うが)こういう時こそ、祈るべきじゃないかという思いが来た。教会の礼拝で「人の癒しのために祈る時には心を集中させて、その人が治るように心を込めて祈る」と語られていたので、それを思い出して、異言で祈りつつ、額に手を置いた。男の子は真っ赤になって泣いていた。額が熱かった。

しかし祈り始めて数分で熱が引いていくのがわかった。彼は泣きやんだ。母親が体を調べると、赤い点々は消えていた。びっくりしていた。彼はにこにこして、もう一人の男の子と走り回って遊びだした。バイクで薬を買ってきた教会の方も「どうして治ったんだ?」と言っていた。主が癒されました。主をあがめます。2010/03/28記す


Era uma noite de vespera do Natal.
Eu estava assistindo o culto da igreja em Guararapes.
Un menino começou a chorar e a mãe dele o levou fora da igreja.

Mesmo depois que acabou o culto, ele continuava chorando.
Todos estava estranhando porque ele chorava.
A mãe dele viu os pontinhos vermelhos na perna,
barriga e no pescoço dele.
Ela falou, É que os bichos picou nele. e a alergia.
Um dos membros da igreja correu para comprar remédio.

A mãe deitou o menino na cama.
Ela falou, Tem que levar ao hospital.
O marido dela estava preso.
Eu pensei, Que coitado. Nao tem como fazer...
Mas, logo eu pensei assim também,
Exatamente nesse momento, não é a hora que eu preciso orar por ele?
Acho que foi o espirito santo que me falou.
E eu coloquei a mão sobre a testa dele e começou a orar concentrando a minha mente
para ele ser curado nesse momento.

Eu senti que o menino estava com fevre alta, porque a testa dele estava quente.
Quando eu orava com a língua, o menino parou de chorar.
Depois de oração, eu senti que a fevre sumiu e abri os meus olhos.
O menino estava calmo.
A mae do menino viu o corpo dele
e achou que os pontinhos vermelhos sobre o corpo dele inteiro também sumiram!!

Glória a Deus!!

O menino se levantou da cama e começou a brincar com outros meninos rindo.
O membro que saiu para comprar um remedio,
voltou e estranhou. Foi o Senhor que o curou.
O Senhor Jesus é que vive agora e cura.


It was a night of Christmas eve.
I was participating at the church service in Guararapes.
A boy began to cry and his mother took him outside the church.

Even after the service ended, he kept crying.
Everyone was wondering why he was crying.
His mother saw the red dots in his leg,
belly and his neck.
She said, it was because the bugs stung him and allergy.
One of the church members went to buy medicine for him.

His mother laid the boy on the bed.
She said, I have to take him to the hospital...
Her husband had been arrested.
I thought, "What a pity, but I can't do anything for him ..."
But soon I thought like this too,
"Just then, is it not the time that I need to pray for him?"
I think it was the holy spirit who told me.
And I put my hand on his forehead and I began to pray concentrating my mind
for him to be healed at that time.

I felt that the boy had a high fever because his forehead was very hot.
When I prayed with tongues, the boy stopped crying.
After the prayer, I felt the fever had gone and I opened my eyes.
The boy was calm.
The boy's mother checked out his body
and she found that the red dots on whole his body had gone !!


Glory to God !!

The boy got up from bed and he began to play with other boys laughing.
The member who went out to buy a medicine came back and surprised.
The Lord Jesus healed him.
He is now alive and heals.

2013年10月22日火曜日

体験談シリーズ・指先のタコが取れた!


ある時、私は右手の中指の先に白い角質ができているのに気がついた。直径1センチほどの大きなものであった。その指の爪も変形しており、他の指の3分の2くらいしかなかった。ペンだこがそんなところにできるはずはないし、やけどでもしたかなと思ったが、そのままにしていた。

それから23年経って、祈ってみようと思い立った。タコのできている部分を左手で覆いながら、癒されますようにと毎日祈った。

一週間ほど経った12月末、私は家の大掃除をしていた。トイレの手洗いのシンクを洗っていた時、その指をシンクの側面に強く打ちつけてしまった。いつもは爪があるはずが、直前に爪を短く切っていたために、そのタコを直撃してしまった。かなりの痛みを感じたが、すぐに癒しの祈りをした。

タコの部分が内出血していて、黒くなってきた。毎日癒しのために祈った。さらに一週間ほど経った時、黒ずんでいたタコの間から新しい皮膚が出てきていたのに気がついた。どんどんその新しい皮膚の部分が大きくなり、黒ずんでいた皮膚が剥がれだした。ついにポロッと落ちた。跡形もなく。さらに爪も伸びてきて、他の指と同じ大きさになった。主をあがめます。2011/01/15記す。

Um dia eu percebi tinha uma pele branca queratinizada na ponta do dedo médio da mina mão direita que media mais ou menos 1x0.7cm. Eu lembrei que era 2 ou 3 anos atrás(pensava que era queimadura sem saber, mas talvez poderia ser uma marca de caneta ou de teclado). A unha também reduziu cerca de dois terços de qualquer outra unha. No final de dezembro, eu bati na borda da pia essa ponta do dedo forte enquanto limpava o banheiro. Isso aconteceu porque eu cortei de mais minhas unhas do que o habitual e a parte que bati ficou preto por causa do sangramento interior daquela pele branca queratinizada. Eu comecei a agradecer ao Senhor Jesus por isso. Mas, dóia muito, orei para ser curada. A dor continuou cerca de uma semana, orava para cura todos os dias. Aí, foi na semana retrasada, no meio dessa pele que ficou preto, o nova pele apareceu! E a pele antiga caiu. Um dia caiu a parte direita e outro dia caiu outra metade também. Ele curou a ponta do meu dedo e caiu a pele branca que tinha faz tempo. Glória ao Senhor Jesus.

体験談シリーズ・心臓発作の危機からの回復


2007年9月、日本から宣教チームを迎えました。飛行機が大幅に遅れ、税関を出るのに手間取り、チームの一人が結婚指輪を失くしたことに気づいて、取りに走り、サンパウロを出ようとしたら、ぐるぐる迷いながら、時間が経ち、予定がリオデジャネイロだけになりました。

車の中で、私の携帯電話が鳴りました。リオの集会場所を貸してくださる教会の事務局の方、ホザンジェラさんからでした。お父様(86歳でした)が心臓発作でその一週間前に倒れ、集中治療室へ入院されたとのことでした。連絡を聞いた時、私は思いました。なんてことになったんだろう。このタイミングで果たして集会はできるのだろうか。

私は彼女の口から病名を聞いた時、その前にグァララペスの日系人が同じ病名でお父様を亡くされたのを思い出し、最悪の状況を思い描きました。しかし感謝をしていました。

チームの方々とともに、祈祷会をしていると、祈りの中で預言があり「病人のことを聞いたら、病院に行ってでも祈りなさい」ということでした。気になり、ホザンジェラさんのことを牧師に言ってみました。すると病院に行くことになりました。

二人牧師が部屋に入り、私は通訳として入れてもらいました。部屋に入ると、ホザンジェラさんのお父様と見られる男性がぐったりと横たわっており、壁に設置されたテレビ画面の心電図が力なく波打っており、これは危険なのではと思いました。牧師二人が手を置いて祈り、私は心を合わせました。

集会は祝福され、チームは日本に帰国しました。私はいつ亡くなりましたという知らせを聞くかとびくびくしていました。しかしある時、半年以上経って、思い切って聞いてみました。

「お父様はいかがですか?」
「あれは神様です。跡形もなく、一週間もしないうちに退院した。神の癒しです」
「え~~っ?」

家を訪問すると、ぐったり横たわっていた人が、元気になって、食べたり、話をしたり、歩いたりしていました。あまりに信じられず、彼が話をしたりするたびごとに私は「主に栄光!」と言いました。いま90歳です。主をあがめます。2010/04/11記す